
ごく無造作に入れられた鳥かごの中のこれ等は、結び付く必然性がない。角砂糖型に刻まれた32個の大理石は何かを象徴するものでもなく無為でしかないが、《意味》を見出そうとする感覚が作用しないとは言えない。
しかし、干渉すべき小鳥が不在であるのは大きな欠落であり、それぞれの存在は負の関係性としてしか認識されないのではないか。滑稽でさえある「ローズ・セラヴィよ、何故くしゃみをしない?」は、データの集積、常識の範囲を逸脱している。
デュシャンは負の関係性を目指したのではないか、あらゆる概念の否定。
偶然を装った必然であり、デュシャンの中の必然は他の人には偶然にしか見えないという仕掛けである。
《存在の意味を霧消に帰す》、存在するが、存在しないのである。
物質界では存在とされるものが、精神界では不在であることの証明である。
写真は『DUCHAMP』TASCHENより