中学生の頃、何かの用事でバスに乗っていた時、
同乗していた親戚のおじさんが、
「あれ、西城秀樹の実家のお店」
と外に視線を向けました。
広島駅の近くだった記憶があります。
立ち上がらんばかりの勢いで外を見ると、
一軒のパチンコ屋さん。
お店の入口付近のガラス部分には、秀樹さんの
ポスターが何枚も貼られていました。
しかも、サイン入り。
もうそれだけで、私は気を失いそうに興奮してしまい、
ガシッと窓枠を握りしめ、
「もし今、あのドアを開けて『やぁ!』とヒデキが
出て来たらどうしよう。『バスを止めてぇ!』と
絶叫するしかない!」
と、泣きそうになった記憶があります。
妄想が暴走する女子中学生。
もちろん秀樹さんが飛び出してくるはずもなく、
半泣きの女子とおじさんを乗せて、何事もなく
バスは通り過ぎて行きました。
今となっては、そのお店が本当にご実家だったのか
どうかさえわかりませんが、10代の私のときめきは、
ほぼ、西城秀樹さんや新御三家に捧げられていました。
私は20代になり、通っていた俳優養成所の特別授業で
バラエティ番組のリハーサルの見学が許されました。
萩本欽一さん司会。
ゲスト、西城秀樹さん。
欽ちゃんのリハはとても厳しく、レギュラーの出演者
たちは、バリバリと叱られていて見学者の私も震え
上がりました。
そこに、本番ギリギリでリ入られたのが秀樹さん。
本物の秀樹さんが、『やぁ!』という感じの笑顔で、
目の前にいる。
息が止まりそうなくらい、嬉しかったのを憶えています。
台詞を完璧に憶えていて、間のとり方もニュアンスも
文句なしと欽ちゃんに褒められていたのは、秀樹さん
だけでした。
さすがです。
そして、今の私は、ロスです。
秀樹ロス。
思った以上に、日々、寂しさを感じています。
誰にでも、終わりがくることはわかっているのですが。
光だけでなく、苦しさ、儚さ、悲しみ、その影の部分も含めて
存在まるごとで人々を魅了するのが、本当のスターなのだ
と気付かされました。
「新御三家の歌には、とても良い歌がたくさんあるのよ」
私は、夫に話しました。
「うん。
『いつの間にか君と、暮らし始めていた~♪』
って歌とかね」
「うん… それは… 布施明さんだから」
記憶は、いつも曖昧で、おぼろげで、
サクサクと遠ざかって行きます。
そして私は今日も、秀樹さんの名曲、
「ジプシー」や、「サンタマリアの祈り」を
ひっそりと涙を流しながら、ひとりで聞き続けるのでした。