年末の大掃除の最中に、つい古いアルバムを手に取って見てしまいました。

モノクロの写真は、24歳の母と生まれたばかりの私。
54年前です。

写真の隣のページには、母から私に宛てた手紙が貼り付けられていました。

雅美 貴女は、パパとママの願い祈っていた様に、元気で生まれてきてくれました

そんな言葉から始まった手紙は、誕生したばかりの我が子に、「どうか、幸福に生きて欲しい」と、祈るような思いが綴られています。

そして・・・

幸福にも種類があって、価値の高いものや低いものがあるのです。
あなたも よく考え 又よく実行して、価値の高い素敵な幸福をつかみ味わって下さい。

愛する雅美に

という言葉で結ばれています。

24歳の若い母親の歓びが、文字や行間からあふれてくるようです。
良い親になろうとする、気負いも懸命さも伝わってきます。

雅美」という名前と共に、母から手渡された最初の贈り物。

私は、その贈り物を携えて、当時の母の倍以上の年月を生きてきました。

母は、この手紙を書いた4年後に、私の妹である幼い娘を不慮の事故で亡くし、薬物に溺れ、精神を病みました。

40歳で精神病院に入院してから、一度も退院することなく、昨年78年の生涯を終えました。

母が思い描いていた、「価値の高い幸福」とは、どんな状態のことを指していたのでしょうか。

90年代初頭になり、医療や福祉の現場でも、「クオリティ・オブ・ライフ(人生の質)」という概念が、重要視されるようになりました。

病室で亡き妹の声を聴き続けていた母は、「価値の低い幸福」「質の悪い人生」を選択したのでしょうか。

たずねてみたいけれど、もう、返事はかえってきません。

物事や状態に、どんな「価値」を見出すのか。
もしくは、どんな「価値」を与えるのか。
何に対して、「質が良い」と感じられるのか。

たぶん、その感受性は人それぞれ違います。

大人になった私は、幸福の概念は相対的にみて比較できるものではないと知っています。

比較できないものに、「高低差」はつけられないと気付いています。

ただ私は、人生のスタート地点で、母を通して、大きな人生のテーマを与えられました。

あなたの幸福を生きよ」 ということです。

よく考え、よく感じ、よく見極め実行しながら、私自身が充分に納得できる幸福を生きて行けたとしたら・・・

ほがらかに笑いながら、自分や人を愛し、大好きなことを通して、私自身に嘘のない幸福をたくさんの人と分かち合いながら生きられたとしたら・・・、

私は、母の78年の人生をも丸ごと肯定することが出来るのではないかと感じています。

アルバムの中で、赤ちゃんを抱いて柔らかく微笑んでいる母は、他の何ものとも比較できないほど幸福だったのでしょう。

その瞬間は永遠だと、私は思いたいのです。


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