映像プロデューサーの佐野翔音(さのしおん)と私は、30年ほど前、TBSが主宰していたタレント養成所「緑山塾」の同期生でした。
塾を卒業して30年が過ぎたころの同窓会で、私は隣りに座った佐野に近況を報告しました。
現在、歌や朗読を続けながら、ボイストレーナーとして仕事をしていること。
虐待を受けた子どもたちのシェルターでも、ボイストレーニングを行っていること。
数日後、佐野からメールが届きました。
「それ、映画にしない?」
思い起こせば、10代の終わり頃に私が夢見ていたことは、「映画製作」。
広島から上京してきた理由も、「映画が作りたいから」。
「結局、若い頃の叶わぬ夢だったんだよね・・・」
で終わるはずだったのに。
「やる。映画、つくる」
と、無謀にも即答していた私。
その日から、佐野と二人三脚で、映画製作が始まりました。
ところが、スポンサーを探し始めて企業などを回り始めた矢先、東日本大震災が起こりました。
企業も、小さな映画などへの出資より、被災者の方への支援が優先となります。
製作は、スタートした途端に滞りました。
それでも佐野はあきらめませんでした。
子どもシェルターのプロモーション映像をつくりながら、その一方で、映画製作を少しずつ進めて行ったのです。
完成間近に、「待った!」がかかって振り出しに戻ったり、転んだりぶつかったりしながらの製作。
ふと気づくと5年が過ぎていました。
そして、ようやく完成しました。
予告編です↓
緑山塾の同期生が、何人も出演してくれています。
私も佐野も出演しています。
夫の重信は、音楽を担当しました。
私のボイトレの生徒さんも、友だちも、仕事仲間も、みんな手弁当で参加・出演してくれています。
たくさんの皆さまから、ご支援もいただきました。
本当に、ありがたいことだと思います。
心より御礼申し上げます。
今月11日に関係者試写会を行い、1月には、ご支援いただいた皆さまへの試写会、そして一般上映会へと進みます。
できるだけ、多くの方に観ていただけたらと思います。
今後とも、よろしくお願い致します。
映画「わたし、生きてていいのかな」公式ホームページ
心と身体をつなぐボイストレーニング*マミィズボイススタイル

塾を卒業して30年が過ぎたころの同窓会で、私は隣りに座った佐野に近況を報告しました。
現在、歌や朗読を続けながら、ボイストレーナーとして仕事をしていること。
虐待を受けた子どもたちのシェルターでも、ボイストレーニングを行っていること。
数日後、佐野からメールが届きました。
「それ、映画にしない?」
思い起こせば、10代の終わり頃に私が夢見ていたことは、「映画製作」。
広島から上京してきた理由も、「映画が作りたいから」。
「結局、若い頃の叶わぬ夢だったんだよね・・・」
で終わるはずだったのに。
「やる。映画、つくる」
と、無謀にも即答していた私。
その日から、佐野と二人三脚で、映画製作が始まりました。
ところが、スポンサーを探し始めて企業などを回り始めた矢先、東日本大震災が起こりました。
企業も、小さな映画などへの出資より、被災者の方への支援が優先となります。
製作は、スタートした途端に滞りました。
それでも佐野はあきらめませんでした。
子どもシェルターのプロモーション映像をつくりながら、その一方で、映画製作を少しずつ進めて行ったのです。
完成間近に、「待った!」がかかって振り出しに戻ったり、転んだりぶつかったりしながらの製作。
ふと気づくと5年が過ぎていました。
そして、ようやく完成しました。
予告編です↓
緑山塾の同期生が、何人も出演してくれています。
私も佐野も出演しています。
夫の重信は、音楽を担当しました。
私のボイトレの生徒さんも、友だちも、仕事仲間も、みんな手弁当で参加・出演してくれています。
たくさんの皆さまから、ご支援もいただきました。
本当に、ありがたいことだと思います。
心より御礼申し上げます。
今月11日に関係者試写会を行い、1月には、ご支援いただいた皆さまへの試写会、そして一般上映会へと進みます。
できるだけ、多くの方に観ていただけたらと思います。
今後とも、よろしくお願い致します。
映画「わたし、生きてていいのかな」公式ホームページ
心と身体をつなぐボイストレーニング*マミィズボイススタイル
