幼い頃に住んでいた場所は、家のすぐ裏が川でした。
三日間大雨が降り続いた日の午後、その川が氾濫。
家の前の細い路地に、大量の水が流れ込み、またたくまに床上浸水。
私たち家族は、自衛隊に救出されました。

中学生の時には、学校からの帰宅時に、車を運転する男に声をかけられ、車に乗れと腕をつかまれました。

振りほどいて、走って逃げ帰った記憶があります。

20代前後には、満員電車の中や映画館で度々痴漢にあい、カバンで叩いたりして応戦することをおぼえました。

電車の中で、フラフラ近付いてきた酔っ払いに、ビニール傘で殴られたこともあります。

20代半ば、バイトからの帰宅途中に男に後を付けられました。
逃げ帰った後で、しばらくして外の様子を観るために玄関を開けようとしたら、開きません。

不審に思って、思いきり力を込めて押し開けたら、男が扉に張り付いていました。

中の様子を探っていたのだと思います。
慌てて逃げて行く背中を目撃しました。

これって、何自慢?

と思いたくなるほど、災害や犯罪に巻き込まれそうになった体験が、数多くあります。

酷い状況に陥ることなく今があることは、本当にラッキーだったとしか言いようがありません。

それに30代に入ってからは、こんな恐ろしい出来事に遭遇することはパタリとなくなりました。

ただ思い返してみると、どの場面でも、私は恐怖に身がすくみ、一言も発することが出来ませんでした。

痴漢をカバンで殴った時も、無言です。

玄関先に男がいた時も、黙ったままで腰を抜かしました。

10代や20代の頃は、怖さと共に、「恥ずかしい」という思いも強くあったように思います。

50代の今の私から見ると、何とも歯がゆい感じです。
もっと声を出してよ!と怒鳴りたい気分です。

だけど私だけでなく、幼い子どもたちは、余程のことがない限り、叫ぶことは出来ないと思うのです。

怖いと身がすくみ、息が詰まりますから。
どうしたって、声は出せません。

だったら、どうすれば良いんだろう。

悲鳴を上げられれば、周囲の誰かが気付き、命が救われることだってあるはずです。

身体を動かして、呼吸を取り戻し、叫ぶ。

これは、必須です。
だけど、その方法が分からなければ、絶対に出来ません。

これは、身体でおぼえるしかないんです。

自分を守る手段のひとつとして、何度も何度も何度も繰り返して「助けが必要な時は大声を上げろ」と教え、声を出す練習をして、身体に染み込ませるしかないと思います。

例え、親に理不尽な暴力をふるわれている子どもたちでも。

声を殺してはいけない。
そう強く思います。

もしも次に、幼稚園や他の教育機関でお話しする機会があったら、そのことを強く訴えようと思います。

江東区の南陽幼稚園の皆様、良い気づきをいただき感謝しています。
ありがとうございました。


心と身体をつなぐボイストレーニング*マミィズボイススタイル