予備知識ゼロ。
友人の「暗闇を歩くらしい」と「声だけが頼り」という情報のみで、
「行きます!行きます!」と手をあげた。
ところが、落ち着いて考えてみると、私はかなりの閉所恐怖症。
おまけに、スペインで真っ暗なトイレに閉じ込められて発狂しそうになった経験もある。
「も、もしかしたら、最も苦手とするイベントかも知れないぞ~」
と、後悔したのだが、誘ってくれた友人は、医師。
彼女が先に倒れさえしなければ、蘇生はしてくれるだろう。
大丈夫。
と、ザックリと心を切りかえて、当日を迎えた。
まず驚いたのは、常設のイベント会場がとてもおしゃれなビルの地下にあったこと。
「闇」がテーマの空間なので、息が詰まりそうな古い小劇場をイメージしていたのだが、エントランスもロビーも、木の香りがする都会のカフェバーのようなつくりになっている。
まがまがしさがなにもない。
そうだよ、「闇」といってもお化け屋敷に入るわけじゃないしね・・・
「そろそろお時間ですので、暗闇の世界にご案内します」
と女性スタッフの柔らかい声にうながされて立ち上がったのは、私と友人のアイさん。
そして見ず知らずの男性ひとりと、60代らしき女性ひとりと、20代~30代くらいの女性2名の計6名。
もう、ここまで来たら、戻れない。
「途中リタイアも出来るらしいから・・・」
とアイさんがささやく。
薄暗い部屋に通されると、そこで待っていたのは、暗闇のエキスパートと称される、視覚障害のある男性Jさん。
光のない世界で生きているJさんは、闇の中が見えている人。
ここは、見える、見えないが、逆転する世界なんだ!
何だ、何だ!?
もしかしたら、すごいところに来てしまったのかもしれない。
グループのメンバーは、各自Jさんから白い杖を受け取り、杖の動かし方を習う。
そして・・・
「ここでは、声が全てです。
ご自分の動作を、実況中継するように声に出して説明して下さいね」
と、Jさん。
いや、なんかそれ恥ずかしい。
どうしよう…
などと思っているうちに、さらに薄暗い部屋に案内され、全員で輪になって自己紹介をしたところで、最後の照明が落とされた。
「これが、純度100%の闇の世界です」
この純度100%というのは、どんなに時間がたっても目が慣れない暗さ。
つまり、真っ暗闇。
視覚情報が、まったく入らない世界。
「怖い」「怖いよ~」
と若い女性たちの声が聴こえる。
「はい、じゃあ、僕の声の方に歩いて来て下さい」
え~?歩けって?
いや、暗いから。歩けないから。
あ、そうか、杖を使うんだ。
声の方に、一歩踏み出せば良いのかな。
いや、怖い。
奈落の底に落ちそうで、怖い。
ふと気づくと、隣にいたはずのアイさんの肩につかまりヨタヨタと杖を突いて歩き出している私。
アイさんの肩の温もりが、とてつもなく心強い。
足の裏と杖の感覚も、いきなり鋭敏になっている。
そして、私の背中には、隣にいたはずの若い女性Rさんの手がぴったりとくっついている。
そうだよね。
全員で数珠つなぎになって歩かなきゃ、歩けないよね。
触れ合おう。
いや、ふれ合いなんて余裕ない。
お願い!アイさん、離れないでね。
すると次の瞬間、土や草の匂いが漂ってきた。
鳥の声も聴こえる。
土がやわらかくなりゴツゴツした石もある。
「ここ、実は公園なんですよ。
遊具もありますよ。遊んでみてくださいね」
遊べって、歩くのもやっとなのに、遊べってか・・・
暗闇で、自分の存在を証明する手立ては、声を出すことしかない。
黙っていると、存在自体が闇にかき消されてしまう。
「アイ、ここでしゃがんでいます」
「R、右に移動します」
「あ、痛い。ここ、段差あります」
「まみ!立ちます!座ります!飛びます!飛びます!」
さすがに飛びはしないが、何だかスゴイ。
全員が、当たり前のように自分の動作を実況して声を出し続けている。
ふと手に触れたのは、木製の二人乗りのブランコ。
「あ!わ~!!ブランコありました。二人乗りです」
「あぁ、本当だ!ブランコ、今から乗ってみます」
私とアイさんのふたりが、ブランコに乗った。
闇の中で揺れるブランコ。
足が地面から離れ、自分の身体すら見えない闇の中で、身体がただ揺れている。
なんて、心地良いんだろう。
この安心感はなんだろう。
誰も、私のこの姿を見ることは出来ない。
私自身も。
気付くと、私もアイさんも「わはは」と、子どもみたいに声を出して笑っていた。
ブランコから降りて、手を左右に拡げてみる。
身体が自由になっている。
人から離れて、動けるようにもなった。
変顔しても、猿のような姿勢をとっても、誰にも見えない。
闇、気持ち良い。
ベンチに座る。
小川の丸太橋を渡る。
竹藪を抜ける。
縁側に座る。
靴を脱いで畳の部屋に上がる。
ちゃぶ台の側でくつろぐ。
ザルに乗せられた、野菜をさわってみる。
闇で体験したことのあれこれ。
今までどれだけ漫然と、視覚情報に頼って生きて来たんだろう。
聴覚が、嗅覚が、触覚が、目を覚まして喜んでいるような気がする。
闇が、こんなに温かいなんて。
闇が、こんなに自由だなんて。
さんざん遊んだ後は、風鈴が鳴る喫茶店で休憩。
もちろん、ここも暗闇。
視覚障害を持つ、スタッフの女性の読み上げるメニューを聴き取り、それぞれが注文する。
小銭入れの中から500円を選んで渡す。
「これ、500円玉ですよね」
と確認すると
「はい、大丈夫ですよ。
100円のお釣りです」
あぁ、嬉しい。
私の手は、ちゃんと500円玉の感触を憶えているんだ。
女性スタッフとJさんが、6人のバラバラの注文を的確に運んでくれる。
コーヒーの香り、お茶の香り、ラムネのシュワシュワの音。
味覚も、はっきりと立ち上がっている感じ。
味も、深く感じる。
そして、初めて会った人たちなのに、話しが弾む。
どの人の声も張りがあって、とても美しい。
真っ暗闇なのに、私は目をつぶらない。
音のする方向を、目を開けて観ている。
開けても閉じても真っ暗なのに、観ようとしている。
私の脳は、色を補完しているらしい。
とても鮮やかな色が、そこにあるように感じられる。
テーブルの木の色。ラムネの瓶の薄い青。コーヒーの濃い茶色・・・
この闇は、戻ることや安全が確約されている闇。
そして、人の声が楽し気に満ちあふれている闇。
だから、こんなに心地良く楽しく、安心して暗闇にいられる。
「ここでは、幽霊すら見えないもんね」
と、楽しそうに語る、60代の女性Mさん。
確かに、そう。
見えるということは、案外不自由なことなのかもしれない。
30分程度と感じた闇の時間は、実は90分。
こんなに時間が早く過ぎたのは、久しぶりだった。
ところが、光のある世界へと戻り互いの姿が確認できると、途端に全員、声が控え目になった。
声の個性もかき消され、口数も少なくなる。
あんなの仲良しだったのに、手まで繋いだのに、一気に他人に戻ってお別れ。
見えるって、不自由&何だかちょっと恥ずかしいのかも。
コミュニケーションが難しくなるのも、視覚情報に振り回されている要素は、かなりあるのかな。
視覚障害のある人の世界の感じ方を、この体験でわかったとは、けっして言えない。
でも、視覚とコミュニケーションのことを、もう少し考えてみたいとも思った。
帰りの電車を待つホームで、ふと気付いた。
いつになく、頭の中がスッキリ澄み渡っている。
身体全体が、とてつもなく調子良く感じられる。
なんだこれ?
私の脳や身体に、何が起こったのだろう。
もしかしたら私たち人間には、光と同じように闇も必要なのかもしれない。
光を充分に浴びて、闇で神経を休ませる。
もしくは、闇の中で、普段使っていない脳の部位を使い活性化させる。
このメリハリが、きっと必要なんだ。
私たちの暮らしは、必要以上に明るすぎる。
どこもかしこも、明かりだらけ。
視覚が、過剰に興奮している毎日。
神経が擦り減る人が多いのも、無理はないのかも。
私は、もうすでに、あの闇が懐かしいと感じている。
あんなに怖がっていたのに、今や闇のシンパ。
純度100%の闇で、今度は何を感じ取れるだろう。
ちょっと、歌ってみたい気もしてる。