今朝のNHKの朝ドラ「あまちゃん」を観ていて、皮膚がひりひりして、胸がざわついた。
あぁ、身体はちゃんと憶えているんだな。
あの日の身体の感覚を。
2011年3月11日を迎えた、「あまちゃん」。
津波のニュース映像等はまったく使われていないのに、あの日感じた身体の感覚がよみがえる。
大地が揺れる怖さや心もとなさが、画面の中の人たちの表情と重なって涙が止まらない。
不安定なカメラワークや、トンネルの先の光、役者の表情で語らせる風景。
物語の中で、小道具として度々登場していたジオラマを映すことで、あの日の惨状を表現するなんて秀逸。
淡々と出来事を追い、何気ない日常の会話で不安を消すように笑いあう。
そうだった、あの日の私もそうだったと思える脚本。
素晴らしい演出。
私たちはみんな、記憶している。
あの日の恐怖を。
だから、壊れたジオラマをみただけで、作り物の映像を記憶がちゃんと補完する。
あの日から、変わったはずだったのにな。
私も震えながら、あれこれと考えたはずだったのにな。
まだ何も終わっていないし、原発はさらに大変なことになっているのに。
ドラマを観たのではなく、ドラマを体験したような朝。
自分の内側に、再びずぶずぶと沈んで、再浮上。
中断していた日本民謡のCD、「まほろうたⅡ」の制作に、り掛かることを決意した、暑い暑い、9月2日。
あぁ、身体はちゃんと憶えているんだな。
あの日の身体の感覚を。
2011年3月11日を迎えた、「あまちゃん」。
津波のニュース映像等はまったく使われていないのに、あの日感じた身体の感覚がよみがえる。
大地が揺れる怖さや心もとなさが、画面の中の人たちの表情と重なって涙が止まらない。
不安定なカメラワークや、トンネルの先の光、役者の表情で語らせる風景。
物語の中で、小道具として度々登場していたジオラマを映すことで、あの日の惨状を表現するなんて秀逸。
淡々と出来事を追い、何気ない日常の会話で不安を消すように笑いあう。
そうだった、あの日の私もそうだったと思える脚本。
素晴らしい演出。
私たちはみんな、記憶している。
あの日の恐怖を。
だから、壊れたジオラマをみただけで、作り物の映像を記憶がちゃんと補完する。
あの日から、変わったはずだったのにな。
私も震えながら、あれこれと考えたはずだったのにな。
まだ何も終わっていないし、原発はさらに大変なことになっているのに。
ドラマを観たのではなく、ドラマを体験したような朝。
自分の内側に、再びずぶずぶと沈んで、再浮上。
中断していた日本民謡のCD、「まほろうたⅡ」の制作に、り掛かることを決意した、暑い暑い、9月2日。