武装勢力に襲われたマララさんの素晴らしいスピーチを聴いた後で、友達を殺して捨てた、広島の女の子のことを思う。
暴力から立ち上がり、「無学・貧困・テロと闘うために教育を」と訴える少女も、無残に殺し殺された少女も、みんな16歳。

親からのネグレクトで、生活保護を受給しながらマンションで一人暮らしをしていた16歳。
「友だちを殺して捨てた」
と、自分を打ち捨てた母親に告げた時の彼女は、どんな瞳をしていたのだろう。

自分の存在を否定された子どもが、他者の存在を否定する。
初対面の子どもまで加わり、死に至らしめるほどの暴行を加え、ゴミのように他者の生命を投げ捨てる。
そこに、人間の尊厳は何もない。
殺した子も殺された子も、面白がって参加した子も、誰も人間としての尊厳を、認められずに生きて来たのか。
その救いようのない怒りの発散が、けたたましい悲鳴を発しているようにも思え、胸がギリギリと痛む。
泣けてくる。

せめて、彼女の孤独に本気で手を差し伸べ、彼女の声に本気で耳を傾ける大人との出会いがあれば…
どこかの子どもシェルターに、誰かがつなげることが出来ていれば…

今朝の新聞に、2012年度、児童相談所が対応した児童虐待件数が過去最多を更新し、6万件(66807件)を突破したとあった。
子どもが不幸な国に、未来などない。

母親が放棄するなら、他の誰でも良い。
人間は、その命を認め、愛されることがなければ生きて行けない。
教育は、心を育む「愛」でなければ…
もしかしたら今、大人こそ、その教育を必要としているのかもしれない。