先日、FaceBookにこんな記事をアップした。

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私、社会的養護を受けている子どもたちが、無償で芸術教育を受け
られるようになると良いなと思っているんだけど。

音楽や絵画・造形・文学…
自分の中から「美」が生み出される歓びは、心豊かに生きて行くために不可欠だと思うから。
親元から離れて生きざるを得ない子どもたちは、その日を生きて行くことだけで精一杯。
芸術系の歓びなんて後回しか、育む機会すら与えられない。

「この子たちには、歌ったり踊ったりさせる余裕はない。
 あんたも、どうしたら自力でご飯が食べられるようになるかを教えたら?」

実際に、そう言われたこともある。

芸術=ご飯が食べられない

ということなんだろうな…
くやしいな。

「学歴がなければ、ご飯が食べられない。
 だから、まず勉強でしょうが!」

ってことなんだと思うけど、それも偏っていると思うよ。
だからといって、「学歴なんてなくても大丈夫」と言いきれもしない。
「この子、社会に出たら、どうやって生きて行くんだろう」
と思えるような子にも、たくさん出会って来たし。

本当は、国公立大学まで全て無償化して、良質の教育と芸術をふんだんに吸収できるシステムがつくれれば良いのにと思うけど、国全体が傾いている時に、芸術教育なんて、ずっとずっと後回しになるんだろうな。

でも違うよね。

国の基盤を整え、国全体が豊かになるためには、心というか精神性の回復って重要だと思うし、そこに芸術は不可欠だと思うよ。

まぁ、自分の出来ることから、一歩ずつ進むしかないね。

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そうしたら、お友だちがこんな返信をくれた。


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おっしゃることに全く賛同します。
そしてそれがなかなかままならない事も事実ですね。
濱田さんがおっしゃるように心豊かに生きていくために「美」を生み出す歓びは何ものにも代えがたいものだと思います。
窓から木々の芽吹く様をながめて、ああ春だなァという感性、鳥のさえずりやこずえを吹き渡る風の音に耳を澄ます心根……こんなところにも、こんな小さな日常にも「美」や「芸術」は潜んでいますよね。
「ご飯」だけ食べれればいいのなら犬や猫と同じです。
いや、うちの犬はご飯よりも散歩を喜びますよ。歩きながらいろいろなものをうけとっているんでしょうね。

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濱田さん、あなたの普段の活動の様子はわかりませんが、私の想像ではすでに多くの方に歌声を通じて多くのものを与えたり元気づけたり楽しさや歓びをいっぱい与えてみえると思いますよ。
決して小さな一人だけの思いや行動ではとどまってはいないと思います。
私には手段としては写真くらいしかありませんがいつか役立つ時があったら活かしたいと思っています。

以前に石巻へボランティアに行った時に、それは盆踊り大会のお手伝いでしたが二人の小さい女の子の素晴らしい笑顔を撮りました。
レンタルの浴衣を着せてもらったその子たちはいろんな事
忘れて満面の笑みを浮かべて‥
その後その写真は中津川で支援募金を目的としたジャズボーカルの企画をした時にステージのバックに石巻の様子と一緒に映写しました。
それでどれだけのことが伝わったかわかりませんが、でも私も、私たちの仲間もそれしかできなかったので。
その時集まった資金やそれまでの皆様の募金を預かって石巻で花火を上げました。原発の関係で敬遠されていた福島の花火師にお願いして。たった10分間しか上げれなかったですけどどこにこんなにがれきの街に人がいたかと思うくらいの人たちが見に来てくれました。
わずか十数人のボランティアグループですがそこまでくるまでに数え切れない多くの方の思いを寄せてくれたから出来たことです。
ご自分の力を大いに信じて一歩一歩進みましょうね。

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出来ることはあるはず。
これまでしてきたことの中にも、明日やろうとしていることの中にも。
大丈夫!と言いながら進んで行こうと思う。