昔、どこのお店に行って食事をしても、とりあえずケチを付ける先輩がいた。
出されたものをひとつひとつ評論して、絶対に美味しいと言わなかった。
どうしてかな。
美味しいと言うと、負けたような気分になったのかな。
以前、たまたまつけたテレビで、smapの人たちが作った料理を、数人の俳優さんと北野武監督が食べていた。
ある俳優さんは、「これは無駄な味だ」とか「塩気がきつい」とか、「本物はこんなじゃない」などと評論していたが、北野監督ひとことポツリと言った。
「そうかな、オレは美味しいと思うよ。
すごく美味しい…」
そうして、本当に美味しそうに、丁寧に味わって食べていた。
そりゃバラエティだから、ケチつけたりした方が面白いだろうし、美味しくなくても、美味しいと言っておいた方が良いなんて計算もあるだろう。
でも、監督の表情や言葉は、そんな匂いがしなかった。
とてつもなく、優しい人に思えた。
やっぱり、素敵な人だと思った。
先輩はきっと、本物や一流にこだわっていた人だったから、自分の許容範囲外のものは、切り捨てていたんだろうな。
自分が本物と認めるもの以外は、ゴミだって言っていたから。
当時、とても若かった私は、先輩と一緒にいると、どんどん惨めな気分になって悲しかった。
目の前の料理を、美味しいと感じて食べている自分が、一流を知らない田舎者と言われている気がして寂しかった。
私は、いつしか、先輩と距離をおくようになった。
あの頃の先輩よりも、私は年を重ねた。
先輩の認めていた本物や一流には、まったくなれなかった。
でも、美味しいものを美味しいと素直に言える。
わからないことを、わからないと言えるし、教えてと言える。
感動すれば泣くし、驚くし、オロオロしたりもする。
良かった~、素晴らしい~と、夢中で拍手をすることもできる。
私は、それで良い。
いや、それが良い。
私の歌や表現も、そこからしか生まれてこないのだし。