先日の記事に登場したTさん。
ご一緒したステージは、数えるほどだったけど、たくさんの美しい時間をいただいた。
ある日私は、お店が始まる前に、ピアニストをつかまえて、仕入れたばかりの歌を練習していた。
次から次へと男の人を変えて、愛の言葉をささやく遊び女が主人公のシャンソン。
こんな歌があるのかと思う方もいるかもしれないが、シャンソンの守備範囲は、かなり広い。
娼婦から、海賊の花嫁、ラブホテルの下働きの歌まである。
20代前半の私も、ちょっと背伸びしをて、嬉しそうにそんな歌を練習していた。
すると、ちょうど居合わせたTさん。
私の歌を最後まで聞き、激しく怒った。
「真実ちゃん、それ、誰の歌?
あんたは、そんな浅はかな女なんだね!
醜い!」
え~~~!!歌じゃん、Tさん!
と思った。
だけど、普段は穏やかで優しいTさんの怒りはおさまらない。
Tさんは、シャンソンをこよなく愛していて、ご自身で訳詞をして歌って来られた大先輩。
Tさんの哀しそうな顔を見て、私は理解した。
Tさんにとって、歌とは言葉とは、その人そのものなのだと。
言葉を選びなさい。
歌を選びなさい。
本当に、自分が共感するものを大切にして、悲しみの中にある美しさを、恐怖に屈しない愛の強さを人に伝えなさいということなのだと。
Tさんは、本物のアーティストだった。
その日から、私の選曲が変わった。
とうていTさんには及ばないが、それでも自分の芯を通すことに心を傾けるようになった。
「僕ね、舞台の袖の暗がりに落ちている、
スパンコールって好きなの。
人魚のうろこみたいで、ステキじゃない。
哀しくて、美しい」
と言ったTさん。
ふたりで歩いた帰り道、地下鉄のプラットホームで、落ちていた一輪のしおれたバラの花を、愛しそうに拾い上げたTさん。
「僕ね、こういうのダメなの。
可愛そうでね。
家に連れて帰る」
微笑むTさんの横顔を見た時、なぜかポロっと涙が落ちたのを見られたくなくて、私はそっぽを向いた。
「今度生まれかわってくるときは、
けがれのない、美しい少女に生まれ変わりたい」
そう言ったTさんが、この世を去って7年。
この地球のどこかで、Tさんは、美しい少女として、幸せな日々を過ごしているのかな。
なぜか、そんな気がしてならない。