「私の声は変な声なので、声を出すと聞いた人が不愉快になるんです」
そう言った人がいました。
「誰かに、(あなたの声を聴くと不愉快だ)と言われたの?」
とたずねたら
「そんなことはないんです。でも、自分でそう感じます」とのこと。
だから・・・
「なるべく声を出さないように、生きて来ました」。
醜い自分を人目にさらさないように、なるべく隠れて、声を押し殺して生きて来たというのです。
もったいない・・・
自分で自分の制限をしているのは、本当にもったいないなと思いました。
でも、私を訪ねて下さったということは、「この状態は、違う」「なんとかしたい」と、どこかで感じている証拠。
「勇気」出してくれて、ありがとね。
そう思いました。
さて、あまりにも自己肯定感の少ない彼女。
カウンセリングや、生育歴を振り返ることも必要なのかもしれませんが、それは私がケアできる範疇じゃありません。
私が出来ること。
まずは、ご自分の声に慣れていただきましょう。
そのためには、自分の声に、余計な意味付けなんてしないで、無責任に出してみるんです。
声を、垂れ流す。
銭湯や温泉に入るのに、恥ずかしがって水着を着ていたら怒られるでしょ。
裸にならなきゃ。
すると、周囲も裸なので、次第に慣れて来ますわね。
洋服を着ている方が、恥ずかしくなる。
だから、それを期待しつつ、とりあえず脱ぐ。
いや、本当に裸にはなりませんよ。
どんなに恥ずかしくても、裸になる勢いで声を出すということ。
変なたとえですけど。
あけっぴろげに声を出す体験を重ねて、それ以上でも、それ以下でもない「自分の声」そのものを聴いてみるんです。
そこには、良いも悪いも意味なんてありません。
単純に、自分の体から出ている「音」なんですから。
頭を空っぽにして声を出すことに慣れる。
すると、身体の緊張が次第に解けて来ます。
そうなると、不思議なことに、自分の声がイヤじゃなくなります。
これは、必ずそうなります。
脳の受け取り方、つまり、インプットされた情報が書き換わるんです。
その音に、脳が慣れてくるんでしょうね。
不快で危険な音が、心地良くて安心な、自分の音色に変わります。
だからね、声を出し慣れてくると、いつかきっと、愛しいものとして、自分の声を心地良く受け取れる日が来ます。
必ず、来ます。
それは、あなたがあなた自身の存在を、受け入れる日でもあるんです。
急がなくて良いから、ゆっくりで良いから、少しずつ、裸になりましょう。
私も、重い鎧が脱げて、随分楽になりました。
年を重ねるというのは、そういうことだとも思います。
良い週末をお過ごし下さいね。