A君とB君は、共に20代半ばの青年です。
ふたりとも同じ時期から、私が主宰する個人レッスンのクラスに通い始めました。
A君は就職活動中でしたが、本当は歌を歌って生きて行きたい、自分には歌しかないと、私に言いました。
B君は、インディーズのバンドでライブを続けていましたが、本格的にメジャーデビューをしたいので、歌を学びたいと言いました。
私はふたりに、自分の好きな歌を歌ってもらいました。
A君は、ギターを持参して弾き語りで歌を聴かせてくれました。
人前で歌う経験は少なかったようですが、音程もしっかりしていますし、歌い慣れている感じがしました。
B君は楽器が弾けないので、カラオケの伴奏で歌いました。
バンドの時は、コーラスやラップを担当しているようですが、歌が苦手という意識もあり、声も出ていませんし、音程もかなり揺れています。
B君には、基礎の基礎から、ゆっくりとレッスンを始めました。
A君は、レッスンを始めてすぐに「うちで歌ってみないか?」と声がかかるようになりました。
それは福祉施設のパーティなどの、ボランティアのステージでしたが、100人、500人規模の大きなものでした。
おまけに、そのパーティのプレゼント用のCD録音まで依頼があり、その動きの早さには、私自身、目を見張るものがありました。
その一方B君は、地道にレッスンを続けていました。
ドレミもコードも解からないことにコンプレックスを抱いていたB君に、私は「何か楽器を習えば?」とアドバイスをしました。
メジャーデビューへの道は、かなり険しそうでした。
数カ月後、A君は、歌わなくなりました。
障害を持っている子供たちの歌やダンスが、あまりにも楽しそうだったのに比べ、自分の歌は不自由だからという理由でした。
また歌のレッスンは、出来ない事や、向き合いたくない自分の内面に向き合わされるように感じ、辛くて、もがき苦しむ場と化していたようです。
その頃B君は、自宅近所のピアノ教室に通い始めました。
ひとつコードがわかるようになった、昨日よりもひとつ出来ることが増えたと、とっても嬉しそうに話してくれました。
「声、出るようになったね!」
と私がほめると、とても素直に歓びを表現していました。
1年後・・・
A君は、「やっぱりボクには歌しかない」と言ってレッスンを再開しましたが、就職が決まった途端、何も言わずにレッスンに来なくなりました。
B君のレッスンは、今でも淡々と続いています。
そして先日、B君は言いました。
「来週、バンドのデモCDを、直接レコード会社に持っていこうと思っています。
それでダメだったら、バンドは年内でやめます。
失うものは何もありませんから。
それよりも、歌が歌えない、下手だと思っていた自分が、こんな
にも、歌える歌があったんだとわかったことが嬉しいです。
自分の作ったメロディーを、鍵盤で探れるようになったのが、嬉しいんです。
30歳になっても、40歳や50歳になっても歌っていられたら、すっごく嬉しいし、そうなりたい。
歌ってお金がいただけるレベルになるには、相当時間がかかると 思いますが、小さなライブハウスでも、ソロで歌って行けるようになりたいんです。
そう思えるようになった自分が、嬉しいです」
その言葉を聞けて、私も、本当に嬉しかったです。
去っていったA君にも、自分の可能性に気付けたB君にも、私はエールをおくります。
彼らはとても若くて、可能性もいっぱいあって、これからたくさんの経験を積み重ねて行きます。
嵐の時も日照の時もあると思いますが、どうか、自分自身の奥底から沸きあがってくる声に、正直に生きて欲しいと思います。
何かを得ようと焦って、頭の中だけで生きていては、奥底の声に気づくことはできません。
人の期待に応えるために、自分を偽って生きていても苦しくなるだけです。
頭と身体のつながりを取り戻し、自分の本当の声に、素直に向き合ってみて下さい。
自分をジャッジしたり、批判したり、裏切ったり、粗末に扱ったりしないことです。
「○○しかない!」と自分を追い詰めず、
「○○もある!」と自分の豊かさをたたえて下さい。
昨日、娘の幼い頃のビデオを観ました。
起き上がった、這った、立った、歩いたと小さなことに感動している私や夫が、そこにいました。
娘も誇らしげに、一歩一歩を踏みしめながら歩いていました。
自分を否定したりしない、素直でシンプルな命が、輝いていました。
もう一度、シンプルに。
もう一度、素直な自分自身に戻って。
今ここに、生きていることを歓びましょう。
(2007年10月15日発行号より)
ふたりとも同じ時期から、私が主宰する個人レッスンのクラスに通い始めました。
A君は就職活動中でしたが、本当は歌を歌って生きて行きたい、自分には歌しかないと、私に言いました。
B君は、インディーズのバンドでライブを続けていましたが、本格的にメジャーデビューをしたいので、歌を学びたいと言いました。
私はふたりに、自分の好きな歌を歌ってもらいました。
A君は、ギターを持参して弾き語りで歌を聴かせてくれました。
人前で歌う経験は少なかったようですが、音程もしっかりしていますし、歌い慣れている感じがしました。
B君は楽器が弾けないので、カラオケの伴奏で歌いました。
バンドの時は、コーラスやラップを担当しているようですが、歌が苦手という意識もあり、声も出ていませんし、音程もかなり揺れています。
B君には、基礎の基礎から、ゆっくりとレッスンを始めました。
A君は、レッスンを始めてすぐに「うちで歌ってみないか?」と声がかかるようになりました。
それは福祉施設のパーティなどの、ボランティアのステージでしたが、100人、500人規模の大きなものでした。
おまけに、そのパーティのプレゼント用のCD録音まで依頼があり、その動きの早さには、私自身、目を見張るものがありました。
その一方B君は、地道にレッスンを続けていました。
ドレミもコードも解からないことにコンプレックスを抱いていたB君に、私は「何か楽器を習えば?」とアドバイスをしました。
メジャーデビューへの道は、かなり険しそうでした。
数カ月後、A君は、歌わなくなりました。
障害を持っている子供たちの歌やダンスが、あまりにも楽しそうだったのに比べ、自分の歌は不自由だからという理由でした。
また歌のレッスンは、出来ない事や、向き合いたくない自分の内面に向き合わされるように感じ、辛くて、もがき苦しむ場と化していたようです。
その頃B君は、自宅近所のピアノ教室に通い始めました。
ひとつコードがわかるようになった、昨日よりもひとつ出来ることが増えたと、とっても嬉しそうに話してくれました。
「声、出るようになったね!」
と私がほめると、とても素直に歓びを表現していました。
1年後・・・
A君は、「やっぱりボクには歌しかない」と言ってレッスンを再開しましたが、就職が決まった途端、何も言わずにレッスンに来なくなりました。
B君のレッスンは、今でも淡々と続いています。
そして先日、B君は言いました。
「来週、バンドのデモCDを、直接レコード会社に持っていこうと思っています。
それでダメだったら、バンドは年内でやめます。
失うものは何もありませんから。
それよりも、歌が歌えない、下手だと思っていた自分が、こんな
にも、歌える歌があったんだとわかったことが嬉しいです。
自分の作ったメロディーを、鍵盤で探れるようになったのが、嬉しいんです。
30歳になっても、40歳や50歳になっても歌っていられたら、すっごく嬉しいし、そうなりたい。
歌ってお金がいただけるレベルになるには、相当時間がかかると 思いますが、小さなライブハウスでも、ソロで歌って行けるようになりたいんです。
そう思えるようになった自分が、嬉しいです」
その言葉を聞けて、私も、本当に嬉しかったです。
去っていったA君にも、自分の可能性に気付けたB君にも、私はエールをおくります。
彼らはとても若くて、可能性もいっぱいあって、これからたくさんの経験を積み重ねて行きます。
嵐の時も日照の時もあると思いますが、どうか、自分自身の奥底から沸きあがってくる声に、正直に生きて欲しいと思います。
何かを得ようと焦って、頭の中だけで生きていては、奥底の声に気づくことはできません。
人の期待に応えるために、自分を偽って生きていても苦しくなるだけです。
頭と身体のつながりを取り戻し、自分の本当の声に、素直に向き合ってみて下さい。
自分をジャッジしたり、批判したり、裏切ったり、粗末に扱ったりしないことです。
「○○しかない!」と自分を追い詰めず、
「○○もある!」と自分の豊かさをたたえて下さい。
昨日、娘の幼い頃のビデオを観ました。
起き上がった、這った、立った、歩いたと小さなことに感動している私や夫が、そこにいました。
娘も誇らしげに、一歩一歩を踏みしめながら歩いていました。
自分を否定したりしない、素直でシンプルな命が、輝いていました。
もう一度、シンプルに。
もう一度、素直な自分自身に戻って。
今ここに、生きていることを歓びましょう。
(2007年10月15日発行号より)