先日「怪談えほん」の夕べに行って、気が付いたのだけど、
自分の心の中にある闇は、自分なりの規範をつくるのに
役立っているのかなと思う。
「怖い物をみせると、子どものトラウマになるから」
と排除する人もいるけど、ある時期にくると、子どもは自分で
探してまで怖い表現を見ようとする。
そして、夜、眠れなくなったりもしているんだけど、きっと、
この恐怖体験が、子どもの規範をつくっている。
「ここまでしちゃいかんでしょ」
とセーブ出来るのは、ちゃんと闇の部分や、見えない存在
への畏怖の念があるからこそ出来ること。
闇を見ないように、ないものとして抑圧していると、
闇は膨れ上がって、猛威を振るうようになるんじゃないかな。
好かれなくてもイイ。
良い人でいなくてもイイ。
と思えると楽になるのも、そういうことだと思う。
私も年齢を重ねて開き直り、時々、闇に潜ってほくそ笑んだりして、
どんどん妖怪化して来ているので、今は楽。
闇を抱える強さは、じっくり育てなくちゃいけないのかもしれないな。
猫又になる日も、近いかも。
自分の心の中にある闇は、自分なりの規範をつくるのに
役立っているのかなと思う。
「怖い物をみせると、子どものトラウマになるから」
と排除する人もいるけど、ある時期にくると、子どもは自分で
探してまで怖い表現を見ようとする。
そして、夜、眠れなくなったりもしているんだけど、きっと、
この恐怖体験が、子どもの規範をつくっている。
「ここまでしちゃいかんでしょ」
とセーブ出来るのは、ちゃんと闇の部分や、見えない存在
への畏怖の念があるからこそ出来ること。
闇を見ないように、ないものとして抑圧していると、
闇は膨れ上がって、猛威を振るうようになるんじゃないかな。
好かれなくてもイイ。
良い人でいなくてもイイ。
と思えると楽になるのも、そういうことだと思う。
私も年齢を重ねて開き直り、時々、闇に潜ってほくそ笑んだりして、
どんどん妖怪化して来ているので、今は楽。
闇を抱える強さは、じっくり育てなくちゃいけないのかもしれないな。
猫又になる日も、近いかも。