今から30数年前のある日。
50数名の生徒を前にして、教壇の中央に立っていたのは俳優の緒形拳さん。
担当者から紹介されたのに、先程から身動き一つしない。
挨拶もなく、ただ黙って教壇の真ん中に立ち尽くしている。 
息をのむ、生徒たち。
妙な緊張感に包まれて、時間だけが過ぎて行く。

しばらくして緒形さんは、ゆっくり息を吸ったかと思うと、突然、大声で言い放った。

好き、好き、好き!

震えあがる生徒たち。
そして今度は、少し間をおいて、

嫌い、嫌い、嫌い!

生徒の一人として座っていた18歳の私は、何か見てはいけないものを
見てしまったようなばつの悪さでキョロキョロとあたりを見回した。
教室の後ろに立っていた、関係者各位も、皆同じような表情で戸惑っている。

すると、緒形さんの表情がふっとゆるみ、こう言われた。

僕は今、とても緊張しています。
演技のことについてしゃべれと言われたが、しゃべることも教える
こともできません。
それに、僕は、役者の才能なんてものも、持ち合わせてはいません。
だけど、この仕事が好きでたまらない。
好きで好きでたまらない。
才能なんてものがあるとしたら、それはその人が誰よりも、今携わって
いる仕事が好きかどうか。

好きの強さ、好きの深さが、才能なんだと思います


ノックアウト。
魂を持って行かれたような、感動があった。
淡々と語る緒形さんの声は、渋くて身体全体に沁み渡るようで、何ともいい
ようのない色気が漂っていた。

「好き」という言葉を言い換えると、「才能」になる。
だけど緒形さんは、「気が狂うほど好きか」と私たちに問うた。

僕が、誰にも負けないものがあるとすれば、この仕事が好きだという
想いの強さだけです


情熱は、全てを凌駕する。

選択肢が多い現代で、何かひとつのことを選び、情熱を傾けて行くという
のは、とても難しい。
だけど、自分の心の奥底に響く、「好き」という小さな声を聴き洩らさない
でいたい。
好きを徹底して生きて行ける人生
というのは、シンプルで豊かだと思う。

孤独であろうとなかろうと、お金持ちであろうとなかろうと、私は、「好きな
ものに情熱を傾けて生きた」と堂々と言えたら、その人は、心底幸せな
人だったのだろうと思う。
私もあきらめずに、好きを生きて行こうと思っている。

でも、緒形さん。
その後に続いた「嫌い、嫌い、嫌い」って、なんでしたっけね。
私、まったく記憶に残っていないんです。