「じゃ、みんなで一緒に歌う歌からやってみようか」
小泉先生がピアノを弾き始める。
御年77歳。
うわぁ~、この力強いタッチは、何!!
さっきまでの恐怖が、いきなりワクワクに変わる。

以前から知っていた曲だけど、はじめてピアノに合わせてりえこちゃんと歌った。
なのに、繰り返しも伸ばすタイミングも、バッチリ合う。
さすが、プロだな、私たち。
と妙に嬉しくなる。
いや、小学生でもこれぐらい歌っていますからと、また自分の中で一人突っ込み。

そして、私の用意した曲からリハ。
ミュージシャンにとっては当たり前なんだろうけれど、初見で弾けるというのは、つくづく凄いなぁと思う。
しかも、シャンソンは物語のある歌が多いので、歌手が伝えたいことや呼吸を、瞬時に感じながら演奏しなければならない。
小泉先生のピアノは、ひょうひょうとしているのに、強い。
そして、繊細。
うわぁ~!サムライみたいだ。
ピアノ侍だな。
などと余計なことを考えながら歌う。

何度か繰り返しているうちに、歌い手としての勘が戻ってきたのがわかった。
そうだった、そうだった。
私は、とっても甘えん坊だったんだ。
シャンソンの世界に守られて、大切に育ててもらっていたのに、反抗して暴れてストレスを溜めこんで、勝手に家出をしたのだった。
「こんな世界なんて、なにさ!」
と我がままを言って、飛び出したんだった。
さっきまでのドキドキ。
あれは、家出娘が何年振りかに実家に戻る、あの心境だったんだ。
「お母さ~ん」
と泣きながら飛び込んで行きたいのに、許してもらえるかどうかわからなくて玄関の前で、行ったり来たりしてしまうような。

小泉先生は、弾きながらどんどんアレンジを変えている。
りえこちゃんは、それに応えて、歌い方を変えて行く。
間違ったら、先生は黙ったまま最初に戻る。
何度も戻る。
何度も繰り返す。
そのやりとりを聴いていて、私も同じようにドキドキしながら
「私は、やっぱり歌うの好きなんだな」
「歌を、こうして、つくってゆくのが好きなんだな」
と、つくづく感じていた。

リハが終わり、帰りの電車が一緒になったので、小泉先生とはじめてゆっくりお話をした。
小泉先生は、終戦後、進駐軍のキャンプでお兄様がバンドをやっていらして、そこに呼ばれて行ったのだそうだ。
ピアノなんて弾いたこともなかったのに
「黙ってそこで座っていれば良い」
と言われて、ピアノの前にピアニストのふりをして座っていたのが、ピアニストとしての始まり。

小泉「でもさ、何か月か座っているとさ、弾けるようになるんだよな
いえ、先生、弾けませんよ。
私、8年もキーボードの前に座っているけど、ダメだもの。

濱田「先生、その時おいくつだったんですか?」
小泉「12」

あぁ、私は今、ピアノ侍と話しているんだなぁ。
いや、ピアノそのものと話して歩いているのかもしれない。

小泉「おれ、伴奏、好きだから」

伴奏は、愛がなくちゃつとまらない。
ピアノの伴奏に、恥ずかしくない歌を歌って行きたいなと思った。