「生きていることに、現実感がないんです。
誰かと向き合って話していても、何だか、映画のスクリーンをボ~っと観ているみたい。
ここで生きているんだ、という実感が持てません」
ある生徒さんの発言です。
あなたはこの感覚、わかりますか?
◆世界が遠い
私には、わかります。
自分以外の世界が何だか遠く感じられて、生きている実感が乏しいという感覚が。
その頃の私は、誰かと関わる時、いつも緊張していました。
だって、スクリーンの向こうにいるような遠い世界の相手と、どう関わっていいのかわからなかったからです。
すぐ側に誰かがいてくれるのに、いつも寂しい。
何もしていないのに、頭の中は恐怖と不安でいっぱい。
だから、バカにされちゃいけない。
なめられちゃいけない。
私にとって、世界は遠く不確かで、敵意に満ちたものでした。
◆世界が遠く感じられる理由
どうして、こんな感覚に陥ってしまったのか・・・
私の場合は、誰からも愛されていないと思い込んでいたことが原因だったような気がします。
愛されていない惨めさや恥ずかしさを、他の誰にも気付かれないように、必死に毎日を取り繕っていました。
こんな状態を続けていると、呼吸が浅くなり筋肉も緊張し、身体感覚も、世界を知覚する感受性も麻痺します。
それが、自分と世界とのつながりを断ち切るのです。
ひとそれぞれに、何らかの理由はあるでしょう。
でもこの頃は、「愛が足りない」と思い込んでいることが、不調や感覚麻痺の原因のような気がしてなりません。
◆現実を取り戻すために
私が、身体感覚や自分を取り戻すきっかけとなったものは、出産と育児。
つまり、圧倒的な身体体験のおかげです。
動物的に身体を使い、感受性を研ぎ澄ませないと、出産も子育てもできません。
赤ちゃんと、言葉を使わないコミュニケーションをしているうちに、生きている実感が戻っていました。
今は、映画のスクリーンを観ているような、非現実的な毎日を生きていません。
私の体験以外に、武道を始めた・旅行にでかけた・病気やケガをした・生活環境が変わった・・・
そんなことが、現実を取り戻すきっかけになる人たちもいるようです。
◆声とのつながり
感受性を開き、外の世界とつながり、生命のエネルギー(呼吸)が循環をしていないと、声は出せません。
インプットがないと、アウトプットが出来ないのです。
観て・聴いて・感じる・・・
この三つを大切にして、外の世界を感じ取りましょう。
それと同時に、自分の身体に意識を向けて、頭のテッペンから足先まで、ちゃんと感じ取ってあげましょう。
なんたって、自分の住む世界、自分の身体ですから。
眠ったままの場所がないように、手で触れて、伸ばして、身体と語り合うひとときを持つのです。
そうすると、「今ここに生きている」という感覚が戻り、自分自身も声も、必ず自由になります。
どうぞ、あきらめないでいて下さいね。
(2011年12月8日発行号より)