声を出すときに、あなたの骨が振動し、共鳴で音が届けられるようになったら・・・
声を出すことは、この上もなく心地良い体験になります。

◆こんなに楽でいいの?
声を出すことが苦痛だと感じていたA子さんは、何度レッスンをしても、ノドの力みがとれませんでした。
あまりにも出来なかったので、ついに開き直ったA子さん。
「もう、どうでもいいや!」と投げやりに声を出しました。

ところが・・・

「わ!できた!そうよ、その声なのよ~!(^o^)♪」と私が喜ぶので、驚いた様子です。
「こんなに、楽でいいんですか? 私、何もしていませんよ・・・」
「いいの、いいの!何もしてないでしょ。息をしていただけよね。そう、それで充分!」
A子さんは首をかしげて、再び言いました。
「楽で、いいんですか?」

◆もっと苦しまなくちゃ
私たちは、全てにおいて、考えて頑張ってやり過ぎてしまうのです。
もっと苦しまなければ、認められない、実力は得られない、ゴールにたどり着けないとばかりに、自分を追い立てます。
これで良いの?間違っていない?キレイな声が出せている?
レッスンの途中でも、頭の中のおしゃべりが止むことはありません。
ますます緊張が強くなります。
心も身体もガチガチになり、呼吸も浅くなって、声の自由は奪われます。
私という「楽器」は響きを失い、演奏者の私も「楽器」を見失ってしまうのです。

A子さんの言葉は続きます。
「苦しまなくちゃ、正しく声を出せないんじゃないですか・・・?」

◆エゴをそぎ落とす
A子さんの響きは、素朴で温かなA子さんそのものの声でした。
キレイな声を出そうとか、上手く出そうといった計算が止み、力が抜けて空っぽになった時に、身体が共鳴を始めました。
自然に、身体が響き始めたのです。
そこには、ノドの痛みや違和感はありません。
あるのは、身体の中を風のように流れる息と、声帯の振動、そして振動を身体全体に伝える骨と、振動を空間に広げる空気だけです。

自我(エゴ)がそぎ落とされ、純粋に「楽器」そのものになれた時、私たちの心は、静寂に包まれます。

どこから音が出ているのか解からないくらいに、身体全体から声が響く時、「楽器」を演奏しているのは、私ではない別の存在なのかもしれません。
神様が奏でる「楽器」
私たちは、世界にひとつの、美しい「楽器」になっています。

◆共鳴に耳を澄ます
日常の他愛ないおしゃべりも、ステージに立って歌うときも、仕事の重要な会話をしている時も、常にあなたの響きに耳を澄ましてみましょう。
一日のうちに数分でいいのです。
頭の中のおしゃべりスイッチをオフにして、ゆったりと呼吸をして、声を出してみましょう。
ため息に音が付いたような、気負いのない軽い声です。
あなたの身体の共鳴を、体感して下さい。

この共鳴が、コミュニケーションをひらく鍵です。
コミュニケーションは、頭だけではできません。
身体につながってこそ、コミュニケーションは成立します。
神様の奏でる楽器となって、美しい音色を大切な人に贈り届けましょう。
(2007年8月13日発行号より)