呼吸の奇跡☆声の魔法より~81・歓ぶために生まれてきた | 浜田真実*しげのぶ真帆 文筆と朗読の「まほろふ舎」

浜田真実*しげのぶ真帆 文筆と朗読の「まほろふ舎」

昭和の終り頃、シャンソン喫茶「銀巴里」にて歌手デビュー。平成の中頃に、心と身体を整えるボイトレ教室「マミィズボイススタイル」オープン。「声美人で愛される人になる」「説得力のある声をつくる」等出版。この頃は「しげのぶ真帆」名義で、文章を書き朗読もしています。

ハートフルステージは、障害を持った人たちのお祭りのステージ。
私は、司会進行と歌で、毎年お邪魔しています。
初めてこのコンサートに関わったときは、司会をしながらも、出演者のパワーに圧倒され、かなり動揺してしまいました。
まったく音のない世界に住んでいる少女の、手話ダンス。
唯一自由になる右足で、正確に太鼓のリズムを刻む車椅子の男性。
たったひとつの音を懸命に追い続けて演奏する、障害児学級の生徒たち。

ひとつの音、ひとつのステップを踏むのに、私には想像もできないほどの集中力が必要な彼ら。
それでも、彼らの表情や身体から発散されるエネルギーは、とてつもない光を放っているようでした。
シンバルひとつ叩くのに、こんなに嬉しそうな顔になれる演奏者を、私は見た事がありません。
楽器に触れること、音を感じること、声を出すことが歓びにつながっている・・・
この感覚に叶うものはないのだと、その時、思い知らされました。

◆聴こえなくても歌う!

私は、ゲストとして歌うことに自信が持てなくなりました。怖かったのです。
プロの歌い手のはずなのに、彼ら以上の表現はできっこないと、怖気づきました。
それでも出番が来れば、逃げるわけにはいきません。
私は、不安なままステージに立ちました。

客席には、軽度から重度のさまざまな障害を持つ人がいます。
そして、彼らの家族や関係者もたくさん座っています。
ふと気付くと、前方の席に先ほどの手話ダンスの少女が座っていました。たぶん6~7歳くらいだったと思います。
彼女は、歌い始めた私の口元と、ルビの振ってあるプログラムの歌詞を交互に見比べて、指先で歌詞を追っていました。
そして、私の口に合わせて一緒に歌っていたのです。

「私の声、聴こえてないはずなのに・・・」
そう思いながら歌い続ける私の前で、彼女は実に楽しそうに一緒に歌ってくれたのです。
この少女の前から逃げちゃいけないと、私は意を決しました。

◆表現はコミュニケーション

「みんな、ステージに出てきて一緒に踊らない?」
ラストの曲で、私が客席に問いかけると、たくさんの人たちが上がってきて、一緒に歌い踊りました。
私は、こんなに自由な歓びに溢れているステージを、始めて体験しました。
コンサートが終わったとき、客席の少女が私のそばに走ってきて、手話で語りかけてくれました。

「楽しかった!また会いましょう」
私の心の中に、ふわっと温かい灯がともりました。

「うん!また会おうね!!」
私は、彼女の小さな手としっかり握手をしました。
歌うことや表現することは、声を使った単なるパフォーマンスではなく、自分と言う存在全てを使った、素晴らしいコミュニケーションだったのだと、私はこのとき教えられたのです。

◆楽しむために生まれてきた!

その数回後、私は、ようやく彼らに少し追いついたような気がしました。
ラストの曲、サンバ調にアレンジした「手のひらを太陽に」では、ステージ上に集まったたくさんの出演者たちと、歌い踊り走り回りました。
客席では、歩けない人たちや介護者や関係者の人たちも、一緒になって踊っていました。
それは、振付や約束事を離れた、とても自由で豊かな表現となっていて、私もその中で子供のように夢中になって遊びました。

彼らが勝ち得た「自由」や「輝き」は、たくさんの制約や苦しみが
あるからこそ得られたものなのかもしれません。
障害を持たない私たちの中には、なぜか自分を必要以上に抑圧したり、無理矢理不自由に追い込んで、苦しみの輪の中でグルグル回り続けている人もいます。
でも「自由」や「輝き」は、私たちみんなが手にしていいものです。

私たちは楽しむため、幸せに生きるために生まれてきました。
生きて行く間には、悲しいこともたくさんあるけれど、それでも、歓ぶために生まれてきたんだと、私は強く思っているのです。

(2007年2月3日発行号より)

◆ボイストレーニングのマミィズボイススタイル
◆濱田真実ホームページ

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