
昭和30年代って、何もなかったなぁとふと思った。
我が家には、電話もカラーテレビもなかった。
これは、うちだけじゃなくて、大多数が持っていない時代だったということ。
用事があると、電話を持っている近所の雑貨屋さんに行き電話をかける。
電話がかかると、雑貨屋さんが走って呼び出してくれる。
「濱田さ~ん、電話ですよ~」
「はぁ~い、ありがとうございます」
と、母が走る。かけた方も、のんびりと待つ。
きっと、当時の人の方が呼吸が深くてゆっくりだったのだろうなと思う。
今はたぶん、電話の前で1分待たされたら、怒る。
昔の人の文章を声を出して読むと、著者の呼吸が深いことがわかるよ。
リズムが、現代の文章とはまるで違うもの。
だから、昔の映画や文章が、もう生理的に合わなくなっている人も多いのだと思う。
そうそう、テレビも白黒だったしね。
そのちょっと前の時代は、テレビすらなかったんだもの。
テレビも、パソコンもゲームもない時代に、人はどうして日々を過ごしていたんだろう。
もう、想像することも難しい。
ちょくちょく停電もあったなぁ。
台風の時は、前もってロウソクとおにぎりをたくさん準備して、台風が過ぎるのを家族そろってしみじみと待ったりもした。幼い私にとって、台風は、ちょっとワクワクするイベントのようなものだったし。
何もないことは、不自由…?
でも、ちょっと便利になると、それは嬉しい。
だから企業は競争して、便利を生み出す。
もっと欲しい!もっと便利に!!
そして、歯止めがきかなくなったのが、今までの日本だったのかなぁ。
もう充分、これで良いよって、止めることは難しいよね。
でも、こんなにたくさんの犠牲を出さなければ、気付けなかったことなのだろうか。
スローライフと言う言葉が流行り、そんな生き方を実践していた人もいたけれど、私は漠然としか考えて来なかった。あるのが当たり前になっていたから。
私が、携帯を持っていなかった頃。
私と夫は、相手が何時にどのあたりにいるだろうなということが、何となく勘で分かった。
だから、待ち合わせに不自由することはなかった。
約束してなくても、ちゃんと会えたりしていた。
今は、まったく分からない。携帯を使っていても、行き違うことがあるもの。
鈍ったのか、会いたくないのか…
鈍ったんだな、きっと。
便利グッズや安定した供給の電力を失うと、もしかしたら人間は直観が研ぎ澄まされて、もっと野生が取り戻されて、智慧が働くようになるかもと思う。
私のボイストレーニングの裏テーマも、「野性を取り戻そう」ということだった。
思考優先の毎日から、もう少し動物的に生きることが出来るようになると、私たちは、本来の自分や、本当の幸せに気づけるのだと思う。
呼吸を深くして、ほんの少し便利な生活から引き算する生活へ。まずは、私が実践。
私たちは、今、大事な岐路に立たされているのだから。
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