昨日、2011年2月26日は、芸術家・岡本太郎さんが生まれてちょうど100年。
各地で、太郎さん関連のイベントが行われている。
NHKでは、夜9時から「TAROの塔」というドラマが始まり、太郎さん・敏子さんファンの私としては、大好きな人たちを讃える、壮大な「祭り」が始まるようで、何だかとっても嬉しい。
今から20数年前…
銀座の、あるシャンソンバーで私が歌っていた頃のこと。
岡本太郎さんは、オーナーの女性歌手と昔からの知り合いだったようで、時折、秘書の敏子さんを伴ってやって来た。
太郎さんは、70代後半とはとても思えない位、ダンディーなスタイル。
おしゃれで、とても素敵な紳士に見えた。
ところが、「センセイ」と呼びかける私に、まともに言葉を返してくれない。
いつも、「う」とか「あ」とか「ふ」などの短い音声と、お馴染みの手を広げて目を見開く動作を繰り返すだけ。
当時20代の私は、「テレビで見かける、(芸術は爆発だ!)の面白いおじさん」としての認識しかなく、太郎先生としてはまともに会話をする相手にはならなかったのだろう。
それでも、お笑い好きの私は(←そもそも、この認識が間違っている)、太郎さんが動くたびに嬉しくなり、ワクワクしながら側にくっついていた。
ある日、お店に出勤した私の耳に、素晴らしいピアノ演奏が飛び込んできた。
型破りで斬新なのに、とてつもなく繊細な「枯葉」。
シャンソンの名曲だが、こんなに破天荒で美しい「枯葉」の演奏を聞いたことがなかった。
ふとみると、お客様の誰もいない店内で、ピアノを弾いていたのは太郎さんだった。
その上、見事なフランス語で「枯葉」の弾き語りまで披露。
な、何なんだ、この人は、し、しゃべれたのか?
日本語はしゃべれないけど、フランス語はしゃべれるのか?
いや、もしかしてこのフランス語は、デタラメか?
違うなぁ、以前聴いていた原曲と同じ歌詞だ。
うわぁ~、上手い、うますぎる。
それにしても、このピアノは何?
聴いたことがないよ、こんなに突き抜けた枯葉の弾き語り!
何だ!これは!
何だ!これは!
まさに、そこは岡本太郎ワールドだった。
「センセイ!すごい~!!ブラボー!」
演奏が終わり、思わず私は、大拍手。
太郎さんは立ち上がり、いつもの爆発のポーズでニヤッと笑っておどけておじき。
そのまま、外に出て行ってしまい帰って来なかった。
何だ、これは?
ビックリはしたけれど、テレビに出ている人は、何をやっても凄いんだなぁなどと、ぼんやりと考えていた。
私の無知さ加減も、はなはだしい。
そんなレベルの話ではない。
太郎さんは戦前、フランスに留学をしてピカソなどとも親交を深めた。
闘って苦悩し、フランスで命がけで暮らし、ご自分の芸術とギリギリと向かい合ってこられた本物の芸術家だった。
私は、そんなこともまったく知らない、赤ん坊。
太郎さんがやってくるとヘラヘラと喜び、コースターにサラサラと書かれたいたずら書きに笑い、圧倒的な存在感で繰り広げられる「岡本太郎ショー」を、夜ごと楽しんだ。
太郎さんがお店に顔を出すようになって何度目かの夜、秘書の敏子さんに、私はお店の隅に呼び出された。
敏子さんは、私の腕をつかみ、じっと顔を見ながら小声で言った。
「あなたの歌、何回か聴かせていただいたけど、良いわよ!ここのオーナーの歌より、よほど良い。
頑張って!頑張ってね!!」
それだけ言うと、何もなかったように席に戻られた。
は…?
何でしょうか、この人は?
私に、なぜ?
敏子さんが、太郎さんの芸術を底辺でしっかりと支えていた女性だったことも知らず、私は口を半開きにしたまま「はぁ…」と答えただけだった。
夜ごと、お店のオーナーに怒鳴られ、最悪だとののしられていた私の歌を、この人はほめてくれた。
変な人だ…
自己肯定感が失われ、すっかりひねていた私は、敏子さんの言葉を、そのままなかったことにしてしまった。
その後、数回おふたりにお会いしたが、やがてお店には来られなくなった。
8年後に、太郎さんが天に召され、太郎さんの大事な仕事の始末を全て終えて、敏子さんも太郎さんの元に旅立たれた。
私は、太郎さんが亡くなられた後に、偶然、太郎さんの作品を目にして衝撃を受けた。
最初はあの可笑しなパントマイムおじさんと、真の芸術家岡本太郎が一致せずに混乱した。
著書を何冊も読んで、その情熱と洞察力、ロジカルな文章力に仰天した。
岡本太郎の著書「今日の芸術」は、今では私のバイブルとなっている。
そして事あるごとに、敏子さんの言葉を思い出し、小さくガッツポーズを繰り返している。
◆ボイストレーニングのマミィズボイススタイル
◆濱田真実ホームページ

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各地で、太郎さん関連のイベントが行われている。
NHKでは、夜9時から「TAROの塔」というドラマが始まり、太郎さん・敏子さんファンの私としては、大好きな人たちを讃える、壮大な「祭り」が始まるようで、何だかとっても嬉しい。
今から20数年前…
銀座の、あるシャンソンバーで私が歌っていた頃のこと。
岡本太郎さんは、オーナーの女性歌手と昔からの知り合いだったようで、時折、秘書の敏子さんを伴ってやって来た。
太郎さんは、70代後半とはとても思えない位、ダンディーなスタイル。
おしゃれで、とても素敵な紳士に見えた。
ところが、「センセイ」と呼びかける私に、まともに言葉を返してくれない。
いつも、「う」とか「あ」とか「ふ」などの短い音声と、お馴染みの手を広げて目を見開く動作を繰り返すだけ。
当時20代の私は、「テレビで見かける、(芸術は爆発だ!)の面白いおじさん」としての認識しかなく、太郎先生としてはまともに会話をする相手にはならなかったのだろう。
それでも、お笑い好きの私は(←そもそも、この認識が間違っている)、太郎さんが動くたびに嬉しくなり、ワクワクしながら側にくっついていた。
ある日、お店に出勤した私の耳に、素晴らしいピアノ演奏が飛び込んできた。
型破りで斬新なのに、とてつもなく繊細な「枯葉」。
シャンソンの名曲だが、こんなに破天荒で美しい「枯葉」の演奏を聞いたことがなかった。
ふとみると、お客様の誰もいない店内で、ピアノを弾いていたのは太郎さんだった。
その上、見事なフランス語で「枯葉」の弾き語りまで披露。
な、何なんだ、この人は、し、しゃべれたのか?
日本語はしゃべれないけど、フランス語はしゃべれるのか?
いや、もしかしてこのフランス語は、デタラメか?
違うなぁ、以前聴いていた原曲と同じ歌詞だ。
うわぁ~、上手い、うますぎる。
それにしても、このピアノは何?
聴いたことがないよ、こんなに突き抜けた枯葉の弾き語り!
何だ!これは!
何だ!これは!
まさに、そこは岡本太郎ワールドだった。
「センセイ!すごい~!!ブラボー!」
演奏が終わり、思わず私は、大拍手。
太郎さんは立ち上がり、いつもの爆発のポーズでニヤッと笑っておどけておじき。
そのまま、外に出て行ってしまい帰って来なかった。
何だ、これは?
ビックリはしたけれど、テレビに出ている人は、何をやっても凄いんだなぁなどと、ぼんやりと考えていた。
私の無知さ加減も、はなはだしい。
そんなレベルの話ではない。
太郎さんは戦前、フランスに留学をしてピカソなどとも親交を深めた。
闘って苦悩し、フランスで命がけで暮らし、ご自分の芸術とギリギリと向かい合ってこられた本物の芸術家だった。
私は、そんなこともまったく知らない、赤ん坊。
太郎さんがやってくるとヘラヘラと喜び、コースターにサラサラと書かれたいたずら書きに笑い、圧倒的な存在感で繰り広げられる「岡本太郎ショー」を、夜ごと楽しんだ。
太郎さんがお店に顔を出すようになって何度目かの夜、秘書の敏子さんに、私はお店の隅に呼び出された。
敏子さんは、私の腕をつかみ、じっと顔を見ながら小声で言った。
「あなたの歌、何回か聴かせていただいたけど、良いわよ!ここのオーナーの歌より、よほど良い。
頑張って!頑張ってね!!」
それだけ言うと、何もなかったように席に戻られた。
は…?
何でしょうか、この人は?
私に、なぜ?
敏子さんが、太郎さんの芸術を底辺でしっかりと支えていた女性だったことも知らず、私は口を半開きにしたまま「はぁ…」と答えただけだった。
夜ごと、お店のオーナーに怒鳴られ、最悪だとののしられていた私の歌を、この人はほめてくれた。
変な人だ…
自己肯定感が失われ、すっかりひねていた私は、敏子さんの言葉を、そのままなかったことにしてしまった。
その後、数回おふたりにお会いしたが、やがてお店には来られなくなった。
8年後に、太郎さんが天に召され、太郎さんの大事な仕事の始末を全て終えて、敏子さんも太郎さんの元に旅立たれた。
私は、太郎さんが亡くなられた後に、偶然、太郎さんの作品を目にして衝撃を受けた。
最初はあの可笑しなパントマイムおじさんと、真の芸術家岡本太郎が一致せずに混乱した。
著書を何冊も読んで、その情熱と洞察力、ロジカルな文章力に仰天した。
岡本太郎の著書「今日の芸術」は、今では私のバイブルとなっている。
そして事あるごとに、敏子さんの言葉を思い出し、小さくガッツポーズを繰り返している。
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