今年もたくさんの年賀状をいただいた。
嬉しいし、ありがたい。
私は、仕事上の名前は「濱田真実(はまだまみ)」なのだが、本名は「重信雅美(しげのぶまさみ)」という。
年賀状は、当然、このふたつの名前のどちらかでいただくのだが、実は、これ以外の名前で届くものが、ものすごく多い。
「濱田真美」という、「実」の字が「美」の字になっていることや「濱田」が「浜田」で来る、というのはざらにあるが、「濱田麻美」とか「浜田まみ」とか、名前を創作してくれている人もいる。
さらに、「濱田雅美」(←これは、私の旧姓)や、「重信真美」、「重信真実」というもあり、「重田正美」や「重森雅美」に至っては、もはや私ではない気がするが、ちゃんと我が家に届くから素晴らしい。
名前が定着しないのは問題だと思うのだけれど、私もどこかでそんな間違いをおかしているやもしれず、気をつけなければいけないなと思う。
以前、ある有名な声楽の先生のレッスンを受けた時、まったく名前を呼んでもらえず、とても悲しい思いをした。
4回目のレッスンで初めて呼びかけられた時、「坂田さん」と言われ、さすがに落ち込んだ。
結局、その先生からは離れてしまったが、そのせいか、レッスンでは生徒さんの名前をなるべく多く口にするようにはしている。
名前を呼ぶと、その人と近くなれたような気がするしね。
でも、「自分の名前が嫌いだから、苗字で呼んで下さい」と叱られたこともあり、名前って、人それぞれに意味が深いものだと感じている。
私は、生徒さんに「先生」と呼ばれるよりも、「真実さん」と呼ばれる方が数百倍、嬉しいなぁ。古い音楽仲間が「真実ちゃん」と呼んでくれるのも嬉しい。
目の前の人が、なんと呼びかけられたら一番嬉しいか、そんな思いがわかると良いなぁ。
声も名前も、その人自身だから。