毎日どこかの浜辺に出向いて泳いだ。

野生のイルカに囲まれて波を漂い、無人島を探検した。

沈む夕日を飽くこともなく眺め、日が暮れると暗闇の中で満天の星空に流れ星を数えた。

それ以外のことは何もしなかった。


いつの間にか体も心も解き放たれ、小笠原の大いなる自然の中に溶けていた。


歩き始めた子供のように目を止めるものに立ち止まり、耳を澄まし風を追いかけた。


戯れること、遊ぶこと。こんな当たり前の喜びを、何故今まで無視して通り過ぎて来たのだろう。


普通に呼吸する、普通に歩く、普通に生きる。

ただ、それだけのことだったのに。


太陽の光が、真っ直ぐに私の中に入ってくる。


宿題のない夏休み。

私が私自身に初めてプレゼントした、長い長い休暇だった。

島に降り立ってから1ヶ月。心の向くままに小笠原の光と色の中で笑い歌い、語った。

病気など跡形もなく消えていた。


仕事は全て辞めてしまったが、もし縁があるならばいつか歌える日が戻って来るだろう。
それくらい、気楽に考えられるようになっていた。


秋も深まるころに小笠原に別れを告げた私は、その後日本各地を転々と旅し、その年の暮れに東京に戻った。


あれから9年が過ぎた。


歌はゆっくりとしたペースで私の元に戻って来た。
そしてひとりの人と出会い、結婚をして子供にも恵まれた。


小笠原は思いのほか遠く、再び訪ねることはまだ出来ないでいる。

だが、あの島の輝きは今も私の中に生きている。

無邪気に笑い、お日様の中を走っていた。
両手をいっぱいに広げて、生きる力そのものの中に存在していた。

それは、神様の祝福を受けて生きている、生きものの自然な姿だった。

私も充分楽しんで生きていていいんだ。

そう思わせてくれた島だった。


どんなに逃げても悲しみや辛いことはやって来る。どうすることも出来ない痛みに襲われ迷いは雲のように湧き上がる。


そんな時、私の心は小笠原に飛ぶ。


どんなに辛くても、なんとかなるさ。

世界は全て、あの紺碧の海につながっているのだから。


終わり

(2002年・夏記す)