Mさんは、男性の生徒さんの中では最年長。
60代後半の会社の社長さんです。
最初にお会いしたのが、グループレッスンにご参加下さった時。
Mさんは、他の生徒さんの前で、次のようにおっしゃいました。
「私は、工場をいくつか持っているのですが、最近の若い者は、本当に声が小さくて覇気がない。
そこで、声の出し方を私が指導してやろうと思い立って、ネットで見つけた、このクラスに参加したんです。
ところが、レッスンを受けているうちに、人の指導をする以前に、まず、私自身の声をなんとかせねばと気づきました。私にとっては、大きな収穫でした」
私は、父親に近い年齢のMさんからこの言葉が出たことに、正直なところ、驚いてしまいました。
そしてMさんは、その後すぐに、個人レッスンにお申し込み下さったのです。
◆怒鳴り声はもう嫌だ!
Mさんは、学生時代に学友と肩を組んで、軍歌や寮歌を怒鳴り声で歌っていた世代です。
「貴様と俺とは同期の桜~♪」という歌です。
Mさんの外見も、いかにもコワモテ。
ちょっと失礼なことでも言ってしまったら、「貴様!無礼モノ!」と大声で叱られそうな雰囲気もあります。
ところがMさんのご希望は、「優しい声で歌うこと」。
人生の応援歌のような歌を、優しい声で歌いたいとおっしゃるのです。
「私は、従業員に厳しいことも言わなければならない立場にあります。もちろん、大声で怒鳴ることもあります。
でも、もうこれ以上、嫌な声で話したくはないんです。
自分の嫌な声は、聞きたくないと思うようになったんです。
もっと、心地良い声で話したい。もっと穏やかに伝えたい。
歌だって、怒鳴ってがなって、声を潰すような歌は嫌です。優しく、気持ちいい歌を歌ってみたいんです。
私は、怒鳴り声しか出し方を知りません。でも、今からでも、変わりますか?
レッスンすれば、優しい声で話したり歌ったりできるようになり ますか?」
70代を間近にした、男性の言葉です。
私は、その熱意に心がふるえました。
◆Mさんの本当の声
Mさんの声を聴くと、怒鳴り声の向こう側に、とっても繊細で柔らかい声が眠っているように感じました。
透明感さえ感じられるその声を、何とか生かしたいと、私はレッスンを続けました。
Mさんにとっては、発声練習は生まれて初めての体験です。
当然、上手く行かないこともあります。
「かなり、道は険しいですな・・・」と渋い表情もしていらっしゃいました。
ところが、数回目のレッスンの時に、急激に変化が訪れました。
◆忠実に毎日
Mさんは、柔らかい声でのびやかに発声練習をされるようになったのです。
怒鳴り声の影は、まったく見えません。
「Mさん、スゴイじゃないですか!見事な声ですよ!!」私は興奮して叫びました。
「実は、車の中で毎日発声練習を続けておりましてね。先生からいただいた宿題を、そのまま忠実に毎日続けておったんです。その効果でしょうなぁ。
いただいたアドバイスは、値千金だと思っております」Mさんは、照れくさそうに微笑みました。
◆自分の声を大事にして良かった!
Mさんの姿勢から、私はたくさんの学びをいただきました。
30代、40代の方でも、「私はこんな年だから無理」と言い、自分の可能性を自ら放棄する人もいるのに、Mさんの姿は、本当に美しいと感じます。
「先生、私は学生時代、応援団に誘われておったんですよ。
でも、入らなくて本当に良かったです。
声を潰さなくてここまで来れたことに、感謝しております」
私の心の中に、忘年会で優しく歌うMさんの姿が、ふっと浮かびました。
瑞々しい感性の輝きは、年齢には、まったく関係がありません。
(2006年9月15日発行号より)