Y子さんは、50歳。
20年ほど前から、声がスムーズに出せないことに悩んでいました。
時折、声がかすれて、音声が途切れることがあるのです。
気にしはじめると、ますます声が出にくくなりました。
やがて、普段のおしゃべりにも影響が出はじめ、ほとんどの会話に、声の震えや、音声の途切れが出るようになってしまったのです。
耳鼻咽喉科や、音声外来を訪ねました。
どの医師も、声を出す機能には、何も問題がないと診断します。
大学病院の専門病棟で、発声の訓練も受けました。
一年以上も通いましたが、声は、一向に戻ってこなかったのです。
会社勤めをしていたY子さんは、この声が原因で、所属していた部署を異動になりました。
「私は声がひどいから、何をやってもダメ。人一倍頑張らないと、認めてもらえないし、価値がない」
Y子さんは、そう思い込み、身を削るようにして、働きました。
上司は、そんなY子さんを大切にしましたが、同僚は面白くなかったようです。
社内で、Y子さんをターゲットにした、壮絶なイジメが始まりました。
心身ともに疲れ果て、Y子さんは、お酒に逃げました。毎晩、泥酔するほど飲み続けたのです。
ところが、あることに気づきました。
「酔っ払っているときは、声が出る・・・」
そうです、Y子さんはしたたかに酔っているときだけ、スムーズに声が出せることに気づいたのです。
◆レッスン室で
「要は、しらふの時でも、酔っている時みたいに、解放的になれたら、声は出るってことですよね?」
私は、お気楽にたずねました。
「ええ、まぁ、そうかもしれませんが・・・」
Y子さんは、震える声で答えました。
私は、身体をゆるめる体操や、腹式呼吸、リラックスのための呼吸法を、Y子さんと一緒に、のんびりと楽しみました。
思った以上に、Y子さんの身体はガチガチにかたまっていましたが、しばらくすると、ほっと息が抜けたように、表情が穏やかに変わりました。
「じゃ、ゆっくりと声を出してみましょうか」
私がそう言うと、Y子さんは恐る恐る声を出し始めました。
声は、相変わらず震えています。
その瞬間、穏やかだったY子さんの表情は、見る間に険しく変わり、声をぐっと飲み込んでしまったのです。
この世で、一番「醜い音」を聴いてしまった。
そんな絶望的な表情でした。
◆あなたの声は、宝物
「自分の声を聞く時、いつもそんなに顔しているの?」
私がたずねると、Y子さんは吐き捨てるように言いました。
「だって、変な声でしょ。ひどい声です。聞きたくないんです!」
「でも、その声、宝物ですよ。しっかりと聴き続けて、出してみてください。誰のものでもない、Y子さんの声ですから」
と私は言いました。
Y子さんの声帯には、問題はありません。
問題があるのは、自分の声を嫌って、逃げているY子さんの「心」です。
自分自身を、ほんの少しでも否定していると、人とのコミュニケーションは難しくなります。
自分を受け入れていない分だけ、人のことも受け入れられなくなるからです。
まずは、自分が自分の声と仲良くなることが最初です。
Y子さんはしばらく黙っていましたが、ふっと、表情が明るくなると、こう言いました。
「あ、いいんだ。声、出しても・・・。
そうか、声を出すために、ここまで来たんですものね」
◆楽で良かったんだ!
Y子さんは、吹っ切れたように、声を出し始めました。
20年も苦しみ続けていたのに、声を出していいと、自分に許可を出した瞬間に、声を出すことが楽になっていたのです。
「自分の声を、出すのも聴くのも嫌でした。
でも、良いんですよね。自分の声ですもんね。
そうか、楽にしていて良いんだ!」
完全に声が戻ってくるまでには、もう少し時間がかかるかもしれません。
でも、大丈夫。
Y子さんは、きっと出せるようになるはずです。
だって、とっても幸せそうな顔をしていましたから。
まずは、自分が幸せになることです。
あなたが幸せで、100%、自分を受け入れることができたなら、人とのコミュニケーションも、必ず上手くいきます。
いい声は、そこ心から育ちます。
(2006年7月28日発行号より)