数年前、路上で歌うミュージシャンはマスクをしたまま歌っていました。
「こんなご時世に街中で歌うなんて、どういう了見だ!」
と通行人に詰め寄られたりもしたらしいです。
次第に、街中から声を出して歌うミュージシャンの姿が消えました。
ライブは満席不可で、キャパシティの半数以下に入場は抑えられ、無観客ライブなんてのも行われていましたね。
テレビで観た合唱コンクールの出場者は、全員、顔の前に布切れが垂れ下がっていて、歌う度に布がはためいていました。
何とも言えない重苦しい気分になって、私はテレビを消しました。
ようやくマスク装着ならと入場制限が解除されたのは、二年くらい前だったでしょうか。
それでも、声を出すのは厳禁。
大好きなアイドルが登場した会場は、空気がぐらぐらと湧き上がるのだけれどけっして声援はなく、観客はペンライトを激しく振り、涙をこぼし、痛くなるほど手拍子や拍手を鳴らし続けていました。
今は、満席の劇場で、ライブやスポーツ観戦で、街中で、大好きな人に声援を送れます。
名前を呼んで、大声で応援することが出来ます。
心底、良かったと思っています。
けれどあの分断されていた時期を、私は決して忘れません。
同じ空間で、息に乗せて、声を交わし合う素晴らしさを伝え続けていたのに、全てが否定されたように感じてしまったからです。
力不足を感じ続けた数年間でした。
先日のNHKのドラマ「舟を編む~私、辞書作ります」の最終回で、柴田恭兵さん演じる松本先生がコロナ禍で迎える出版に対しメールで語られていました。
「こんな時期だからこそ、まさに言葉の力が試されているのかもしれません」と。
「むろん言葉は負けないでしょう。距離を超え、時も超え、大切な何かとつながれる役目を見事、果たしてくれることでしょう」と。
その信頼が大事だったのだと、今更ながら気付かされました。
あなたが「言葉の力」を信じるように、私も「声の力」を信じて行きたい。
揺るぎなくいたいと、今は思います。