随分以前のことです。
地下鉄・丸の内線の赤坂見附の駅から、エスカレーターに乗って地上に出ようとしている時でした。
突然、周囲の音が洪水のように私の元に押し寄せ、人々が動き始め、色彩が目に飛び込んできました。
驚きました。
今、何が起こったんだろうと。
SF映画の1シーンのように、別世界の現実にいきなり放り込まれたような感覚がありました。
私は地上に出ると、歩道の隅で立ち止まったままぼんやりと周囲を見回しました。
車も人も激しく行き交ういつもの風景でしたが、空が異様に青く澄み渡っていたのを憶えています。
そして、気付きました。
エスカレーターに乗るまでの私の世界には、音も色も匂いもなく、誰ひとり他の人間がいなかったことに。
耳をふさぎ目を閉じて、何も感じないように傷付かないように、息を殺して過ごしていたのかもしれません。
感覚が戻るまで、そんな状態に陥っていることにすら、私は気付いていませんでした。
「あれ、私、生きてる」
唐突にそう思いました。
そして怖くなりました。
私が安全地帯だと思い込んでいたその場所は、薄暗い灰色の無機質な空間でした。
深呼吸をしてみました。
すると、胸の深い場所で何かがじわじわと溶け出すのがわかりました。
あれから私も、随分長い時間を重ねました。
なぜあの時、いきなり感覚が戻ってきたのかはわかりません。
けれど、どんな人でも過剰なストレスを受けると心身のエネルギーは枯渇します。
当時の私も、かなり危険な状態にあったのでしょう。
息が苦しければ、とりあえず立ち止まる。
体を温めてほぐす。
深い呼吸をする。
誰かと他愛ないおしゃべりをする。
思い詰め過ぎない。
そんなささやかなアプローチが、明日に踏み出す力となります。