声を出す。
これは、コミュニケーションの第一歩。
受け取る人がいることが前提で発するものです。
子どもたちは、言います。
「ねぇ、聞いて!」「ねぇ、見てて!」と。
そして、誰かにしっかりと受け止めてもらえて安心するのです。
それは、心の根っこを育てる栄養となります。
ところが……
受け止めてもらえる体験が、極端に少ない人がいます。
私の声は、誰も受け止めてはくれなかった。
そんな、行き場を失った声はどうなってしまうのでしょう。
孤独、恥、痛み、虚しさに姿を変えて自分自身の中に降り積もります。
消えることのない悲しみです。
何かを表現しようとする時、この孤独、恥、痛み、虚しさが騒ぎ出します。
つい嘘を吐いてしまったり、やり過ごしたり、無意識に声を押し殺したりするようにもなるのです。
私の本当の想いは、どこにも届かない。
そんな悲しみを抱えた人たちは、どうすれば良いのでしょうか。
ちょっとした勇気を持つしかないんですよね。
孤独、恥、痛み、虚しさを受け入れて、開き直る。
逃げてばかりいないで、声を発する。
たぶん、それしかないんです。
そして、重要な鍵をひとつ。
悲しみを抱える人は、耳を閉じている人が多いのです。
受け取ってもらえる経験がないと、誰かの声を受け取めることができなくなるから。
もちろん、自分自身の声も受け取れません。
コミュニケーションは循環です。
勇気を持って、孤独、恥、痛み、虚しさを受け止め、声を出しましょう。
降り積もった悲しみも、とけて流れだしたら、軽やかに声を出すことを楽しめるはずです。