なにも「決めない」のが一番いいんですけど | 深層意識の力を利用し、夢を実現する

なにも「決めない」のが一番いいんですけど




いらっしゃいませ、マスターの濱田です。


知恵の言葉と呼ばれるものには、

そのときには理解できなかったり、

腑に落ちないものがある。


そのときは全然わからないか、よくわからなくて、

または、わかったつもりで勘違いしていて、


後に、ストンと「あぁ!こういうことだったのか!」と腑に落ちる。


どんなときに腑に落ちるかというと、

体験によって、知識が知恵に昇華されたときだ。


つまり、本当の理解は、

体験からしか得られないということになるわけだけど、


わたしも「そのときは全然腑に落ちなかった」

知恵というのがたくさんある。


そしてそのときは、「わかりたいー!」

「腑に落ちて欲しい」なんて急いていたりした(笑)。


あるとき、お世話になった

師のような人に言われた言葉も、

そのときは、全然腑に落ちなかったものがある。




その人とホテルのラウンジで話していたときのこと、


「マスターの本当にやりたいことってなんですか?」

って聞かれたことがある。



そしてそのとき、

「一番いいのは、なにもきめないことなんだけど(笑)」と

笑いながら言われた。


その当時のわたしは、

仕事が思惑通りにいかない時期が

とても長く続いていたころで、

(結局まる三年そんな時期を過ごした)


もうそろそろ本当にいい加減

抜け出したいと思いながら、

どうしていいかわからずお手上げ状態のときだった。


とにかく抜け出したくて、

いろんな成功本、ノウハウ本を読み、


いろんなコンサルタントの先生に教えを乞うたり、

とにかく思いつく限りのことをしていた。


だが、なにをやっても状況はコントロールできず、

そして気ばかり焦り続け、


ついには、ほとほとこの人生そのものが、

イヤになってしまっていたときだった。


自分の無力さに、

自分自身がホントにいやになっていたのだ。


そんなとき「なにも決めないのが一番いいんだけど」

という言葉を聞いたのだ。





このときのわたしには、この言葉は、

言っている言葉はわかるのだが、

全然腑には落ちなかった。


それまで学んできた成功法則や、

いや、それ以前に社会の常識では、


目標を立て、計画を立て、

日々目標に向かって、

タスクをこなしていくことが、

仕事や人生を成功させることだと、

完全に信じていたからだ。


そしてわたしはたくさんそんな勉強をしてきたし、

まわりの自分で仕事をしている人たちはみな、

例外なくそうしていたので、


「なにも決めない」ということが、

言葉は聞くことは出来ても、

それがどんな生き方なのか、

まったく想像がつかなかった。


わたしは、学んできたありとあらゆることを

やり続けていた。


ビジョンを描き、目標を立て、計画を立て、

肩書きをブランディングし、

成功者といわれる人たちをお手本とし、

毎日毎日、タスクをこなしていた。





だがやってもやっても手応えが感じられなかった。


手応えが感じられないので、

明るい展望も見出せなかった。


そして手応えのないことを続けていたこともあって、

どんどん無力感にさいなまれていた。


だが、それが正しい方法と生き方だと思い込んでいたし、

それしか知らなかったし、それしか思いつかなかった。


だから、がんばっていれば、

いずれ波がやってくると言い聞かせながら、

永遠とその同じ繰り返しを続けていたのだ。


そしてそれがもうまる三年続いていた。


もうホントにくたくたで、ボロボロだった。


誰かホントに助けてくれ!と日々思っていた。


そんなときに、「何も決めないのが一番いいんだけど」

という言葉を言われたのだ。


だが、常識に洗脳された当時のわたしには、

それがどんな生き方なのか、想像もつかなかった。


そして仕方がないので、それまでと同じ生き方を

その後も続けるしかなかった。


他に思いもつかないので、他に選択の余地などなかったのだ。


だが、変化はある日突然やってきた。





ある覚者とあった日の夜、


その覚者は、ビジネスの世界で

大成している人だったんだけど、

(ちなみに彼はビジネスの現場では、

けっして覚醒の話もそぶりも見せない)

彼とわずか一時間ほど、

ほとんど世間話のようなものをした。


ホントにそれだけだった。


だが、一時間、会って一緒にすごしたことが、

その夜、わたしに変容をもたらした。


覚者と会う、同じ空間を過ごす。


それが、変容を起こし、「なにか」を変えてしまう。


その夜、わたしは、なにも決めないということが

どういうことなのかを、突然理解した。


理解したというより、意識が、

マインドが変容し、それが当たり前になったのだ。


そして、わかないということが、

わからなくなったのだ。


なにも決めないということを、

するのでも、決めるのでもなく、


なにも決める必要などはじめからないことが、

理解されたのだ。





目が覚めると、生き方のルールがまったく変わる。


それはロケットが燃焼しつくされると、

それが切り離されるのに似ている。


以前師が、目が覚め、それが深まると、

「難しくすることが、難しくなる」といっていたが、

本当にそのとおりになった。


人生はおそろしくシンプルになり、

なにも心配する必要がなくなった。


本当に何も決めないので、

決めないということも、決める必要がない


すべて必要なことは、起こることが理解された。


なにか決めるときは、それが自然と起こる。


すべては完璧なのだということが理解された。


人生を信頼する必要なく、

信頼が当たり前になった。


目が覚めてからの人生は、

それ以前の人生とはまったく違う。


以前の人生は、わたしには本当に難しく、

複雑で、心配がいっぱいあれこれやってくる

人生だった。


そしてそれが人生だと完全に信じていたのだ。


よくほとんどの人は眠っていて、

マーヤ(幻想)の中にいるというが、


わたし自身が、完全にそうだった。


シンプルで簡単な仕事や人間関係や人生を

ものすごく複雑で難しく生きていたのだ。


それが人生だと信じ込んでいたし、

まわりのみながそうしていたし、

それが当たり前だと完全に信じ、

疑うことも思いつかなかった。


だから「なにも決めないのが一番いいんだけど」

という言葉を聞いても、全然腑に落ちなかったのだ。


そしてそのときは、どんなにそれをわかろうとしても、

わかることができなかった。


みえている世界が全然違ったからだ。


そしてそれは、意識が変容し、

わかるようになったとき、わかった。


そうなったとき、そうなったのだ。





知恵の言葉には、そのとき耳にしても、

どうしても腑に落ちないというものがある。


それは、それがわかるような意識に変容したとき、

それが当たり前にわかるようになる。


わからないということが、わかるようになって。


そして人生はまったきに、そのようになっている。


この記事を読んでいるあなたも、

「あ」って気づくはずだ。


「そういえば、なぜこの記事に出会ったのだろう?」って、


きっかけを突き詰めて、突き詰めて振り返ってみると、

「なぜか出会った」としか、言えないこと気づくだろう。


そう、人生は根本的には、個の意志ではなく、

そうなっているのだということを。


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