アンダー・ザ・スキン | 深層意識の力を利用し、夢を実現する

アンダー・ザ・スキン



いらっしゃいませ、マスターの濱田です。


映画の中には、「なにか」を感じさせ、

魂の目覚めを呼び覚ます作品がある。


正月に借りて観たこの作品も、

わたしにとって、まさにそんな作品だった。



正月にレンタルビデオショップに立ち寄ったら、

予告を観て、観たいと思っていた新作DVDを見つけた。


それがスカーレット・ヨハンソン主演の、

このアンダー・ザ・スキンという作品だ。


予告を観たときに既に、

なにか感性が惹きつけられるものがあって、

ぜひ観たいと思っていた。


先ず先に断っておくのは、

わかりやすい娯楽作品が好きな人には、


難解を通り越して、
「なに?これ?わけわかんない」

と言われる作品だと思う(笑)。



主演のスカーレット・ヨハンソン自身も

ヴェネチア映画祭で、喝采と、ブーイングと、

そして困惑する人たちがいたと言っている。


この作品評には、2001年宇宙の旅の

スタンリー・キューブリックの後継者

がついに現れたという評もあったという。


2001年宇宙の旅は公開前、ナレーション的な、

実際の科学者たちのインタビュー映像が、

含まれていたそうだ。


が、映画から「マジック」が失われることを感じた

キューブリックは、その映像を全面的にカットした。


このアンダー・ザ・スキンも、

まったくといっていいほど、説明らしきものはなされない。





わかりやすい娯楽作を求める人には、

まさに「なんだこれ?」という作風になっている。


が、「なにか」を感じさせ、「なにか」を呼び覚まし、

目覚めさせるきっかけとなる作品は存在する。


わたしにとってのこの作品は、まさにそれだ。





配給サイドは作品の宣伝に、

「地球外生命体の侵略を描いた

SFスリラー小説の映画化!」という文句を採用した。


残念ながら原作は現時点では、

日本語訳版が出ていないようで、未読の為、


原作ではどのような描かれ方が

されているのかはわからないのだけど、


映画を観た感覚では、

宇宙生命体というよりむしろ、

得体の知れない「なにか」という感覚だ。


わたしはむしろ、「わたしとは、なにか?」


という言葉を持ってきた方が、

この作品の本質を表すのには、

もっとも適しているように感じる。




実際、当初ただ本能にだけ従って、自我、自己認識、

つまり「わたし」という意識感覚が存在せず、

ただただ人間を捕獲していた「なにか」は、


次第に「自我」が芽生えるような描写へと、変わっていく。


そして鏡に映る、自らの姿をみつめるようになる。




そして、鏡に映る姿に「これはなに?」


まさにそう言っているように、わたしには感じる。





黒い液体らしきものに浸かった人間が、

皮膚だけを残し、消え去る描写も、


わたしには、「わたしの実体は何処にある?」

と感じさせるものだった。


そして黒い液体の中は、漆黒の虚空そのものだ。


それはまるで、わたしたちの実体たる「虚無 」のようだ。





「わたしとは、なにか?」


これは、ラマナ・マハルシがもっとも重要な

唯一の質問と言った、「わたしとは誰か?」そのものだ。





2001年宇宙の旅をはじめとした

名作として語り継がれる作品の根底には、

みな必ず、この「根源的な質問」が隠されている。


人類の普遍のテーマなのだろう。




わたしには、この作品はまさに、

覚醒の時代の、「感じ」させ、

「呼び覚ます」作品だと感じる。


何度も書くけれど(笑)、

わかりやすい娯楽作品が好きな人には、

「なんだこれ?」って映る作品だと思う。


が、感性を呼び覚まされることに、

惹かれる方は、ぜひご覧いただきたい作品だと感じる。



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