100歳の誕生日を迎えたキッシンジャー博士の遺言? | 浜田和幸オフィシャルブログ Powered by Ameba

100歳の誕生日を迎えたキッシンジャー博士の遺言?

ノーベル平和賞も受賞し、アメリカ外交の立役者といわれているヘンリー・キッシンジャー博士がこの5月27日、100歳の誕生日を迎えました。

 

 

同博士は肥満気味ではあるものの、頭脳はすこぶる明晰で、講演でも論文執筆でも他の追随を許していません。

 

1923年、ドイツでユダヤ人の両親の元に生まれました。

 

ヒトラーによるユダヤ人迫害から逃れて、ニューヨークに移住し、第2次大戦中はアメリカ陸軍に所属し、主にドイツ語の通訳として活動。

 

戦後は旧西ドイツで対ソ連諜報戦に神経を尖らせたようです。

 

その後は、国防総省に限らず、ニクソン大統領やフォード大統領の外交指南役として大活躍。

 

特に、ニクソン訪中をお膳立てした「隠密外交」で世界史にその名を刻みました。

 

1980年代にはレーガン大統領の命を受け、ソ連最後のゴルバチョフ大統領との間で核兵器削減条約を締結し、1989年の「ベルリンの壁」崩壊への道筋をつけたものです。

 

小生はワシントンの「戦略国際問題研究所(CSIS)」にて、キッシンジャー博士と知己を得ました。

 

当時、共和党に近いキッシンジャー博士と民主党寄りのブレジンスキー博士は、CSISの2大看板研究者で、お互い最上階の角部屋を独占。

 

しかし、傑作だったのはキッシンジャー博士ら共和党支持の研究者やスタッフが利用するエレベーターとブレジンスキー博士を筆頭にする民主党支持者が使用するエレベーターとは別々に色分けがされていたことです。

 

キッシンジャー博士のオフィスには若いインターンが複数いましたが、その中の一人はしばしば小生のオフィスにやってきました。

 

なぜかというと、キッシンジャー博士に提出するアジアに関する論文の材料を入手したかったのです。

 

というのも、当時、小生は唯一のアジア系の研究者でしたから。

 

そのお陰だったのかも知れませんが、このアメリカ人のインターン青年はキッシンジャー博士に大いに気に入られ、後には財務長官に抜擢されました。

 

その後もウォールストリートに落下傘降下し、今ではアメリカの大富豪(ビリオネア)に名前を連ねるまでに大成功。

 

実は、そんな影響力抜群のキッシンジャー博士ですが、100歳の誕生日の機会に独り言のように呟いた言葉が伝わってきました。

 

「ロシアとウクライナの戦争はアメリカが仕掛けたもの。ウクライナをNATOに引き入れようとしたのだが、大きな失敗だった。こうなった以上、アメリカがウクライナの行動を規制するとプーチンを説得し、一刻も早く戦争を終結させるべきだ。中国が和平案を提示しているが、中国とロシアは最終的には共存できない。アメリカは中国を選ぶべきだ」。

 

じっくりと噛みしめたいものです。

 

 

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