最年少総理、田中角栄が誕生した日! | 浜田和幸オフィシャルブログ Powered by Ameba

最年少総理、田中角栄が誕生した日!

1972年の7月6日、自民党総裁選において54歳の田中角栄氏が当選を勝ち取りました。


その結果、総理大臣に指名され、歴代最年少の総理が誕生したわけです。
 

あれから50年が経ちました。
 

総理に選ばれた田中角栄氏はその年の9月、北京に乗り込み、日中国交正常化を成し遂げます。
 

北京空港に出迎えたのが周恩来首相でした。
 

 

当時、日本にも中国にも歴史的なわだかまりがありましたが、田中、周の両トップによる決断によって日中間に新たな歴史が刻まれたのです。
 

周恩来首相は文化大革命の最中にも、「この混乱が収まった暁には、中国の発展にとって日本との関係が最も重要になるだろう」との思いを強く抱いていました。
 

というのも、彼は20歳前に日本に留学し、日本文化に直接触れることがあったからです。
 

中でも琵琶湖の疏水トンネルを見学し、日本の治水技術に感銘しました。
 

揚子江や黄河の氾濫に苦労してきた中国にとって、日本からは多くの教訓や技術を学ぶことができると確信したようです。
 

田中角栄総理と熱く堅い握手を交わしたシーンは両国で繰り返し放送されました。
 

その周恩来首相は亡くなる間際、病床において「もうどこにも行きたくない。ただ、日本にだけはもう一度行きたい。京都嵐山の桜を眺めたい」と言い残したそうです。
 

ロッキード事件で政治生命も自身の健康も損なった田中元総理ですが、あの世から50年後の日中関係をどのように眺めているのでしょうか。
 

田中角栄氏は自身が小学校しか出ていないため、地元の若者たちが経済的に高等教育を受けられない場合には、東京を通り越してハワイで国際人になるための教育を受けれる仕組みを作ろうとしました。
 

中国にもアメリカにも熱いまなざしを寄せていた「カクさん」。
 

しかし、どうやら中国と親しくなり過ぎたことでアメリカからは疎まれたようです。
 

今の日米中の3国関係を見ると、いまだにその呪縛が生きているようにも感じられます。



 

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