コーリン・パウエル氏の逝去を悼む | 浜田和幸オフィシャルブログ Powered by Ameba

コーリン・パウエル氏の逝去を悼む

昨日、10月18日、黒人初の国務長官を務めたコーリン・パウエル氏が84歳の生涯を閉じました。


2度のワクチン接種を済ませていたにもかかわらず、コロナとの戦いには勝てなかったようです。
 

 

1996年には大統領選挙への出馬も本気で考えていたそうですが、身の危険を案じる妻の忠告に従い、政治の世界には踏み込みませんでした。
 

ニューヨークのハーレム地区で生まれ育ったパウエル氏。
 

授業料の要らないニューヨーク市立大学に入学し、そこで予備役将校訓練隊(ROTC)プログラムを終了し、少尉として任官。
 

紆余曲折を経て、史上最年少の統合参謀本部議長に昇りつめたのです。
 

同氏の自伝の日本語版を出版する際に、パウエル氏から写真を提供してもらうことができ、個人的にも親しみを感じていました。
 

思い出は多くありますが、旅行先のホテルで出会った日本製の温水洗浄便座は複雑そうで怖くて触れられないというエピソードには驚かされたものです。
 

また、中国の胡錦涛国家主席(当時)とのホットドッグ談義にも興味をそそられました。
 

何かと言えば、公式の晩餐会では豪華な料理が振る舞われるのですが、パウエル氏も胡錦涛氏も、「もっと庶民的な街角で移民が売っているようなホットドッグを食べたい」と意気投合したということです。
 

 

いずれにせよ、パウエル氏の生きざまはアメリカに限らず、世界の多くの人々の心に勇気を鼓舞したに違いありません。
 

2003年2月、イラク戦争を正当化するためにフセイン政権が大量破壊兵器を所有しているとの国連演説を行ったパウエル氏でしたが、後に「誤った情報に基づいた判断だった」と自らの失敗を認めています。
 

過ちを認める、その潔さには脱帽せざるを得ません。
 

「何事も思うほどには悪くない。翌朝には状況が改善しているはずだ」。
 

パウエル氏の「自戒13条」の第1条です。
 

晩年にはパーキンソン病も患っていたようですが、持ち前のユーモアのセンスは衰えておらず、周囲への気遣いは相変わらずだったとのこと。
 

もちろん、トランプ前大統領への厳しい批判の刃も衰えていませんでした。
 

これからは天国で地上の争いの行方を気をもみながらも、しっかりと見守ってくれるはずです。
 

ご冥福をお祈りします。