ウクライナ、ベラルーシで得た教訓
ウクライナとベラルーシは旧ソ連時代に発生したチェルノブイリ原発事故で大きな被害を受けています。
両国を訪ねてみて、そのことについて、いろいろと考えさせられました。
第1に、事故から27年近くも経っているのに、依然として後遺症に苦しむ人々が数多くいるという現実。
(チェルノブイリからの移住者連盟のメンバーとの意見交換)
子供たちの甲状腺がんなどは事故後5年あたりから急増し、今日に至っているということ。
事故当時は生れていなかった子供たちの間に健康上の影響が出ている事実は、現地で治療にあたる医師たちにとって“終わりの見えない厳しい挑戦”に違いありません。
一方、国際機関は「原発事故との因果関係は立証されていない。放射線以外の要素もありうる」という立場です。
しかし、目の前の子供たちが免疫力の低下や遺伝子異常に直面しているのは否定しようのない現実。
親にとっては「原因が何であろうが、子供たちには健康に育ってほしい」という切なる願いがあるのみです。
ここに放射能がもたらす世代を超えた健康被害の恐ろしさがあります。
第2に、情報公開の重要性です。
事故は旧ソ連体制下で発生したこともあり、その事実がしばらく隠ぺいされていました。
その結果、被害が拡大したことは否めません。
そうした反省に立ち、ウクライナでもベラルーシでも、いまだに毎日、空間、地中、水中の線量データが公表されています。
(ウクライナでの放射能被害の実態についての説明)
第3に、国際的な支援、協力体制のネットワークが敷かれていることに感心しました。
やはり最先端の科学的知見をもちよることで、多くの困難、課題を乗り越えることができているわけです。
ひとたび事故が起これば全世界を巻き込む可能性のある原子力発電所。
「万全を期す」といっても、「想定外」の事態に直面すれば、後付けで「未曽有」とか「千年に一度」といった形容詞で責任を回避せざるを得ない現実があります。
完璧を求めても、叶わない場合もありうるわけで、緊急対応対策を国際的に確立する必要性を痛切に感じています。