リンカーンに会った唯一の日本人、浜田彦蔵の墓参り
浜田彦蔵という人物をご存知だろうか。
幕末に活躍した貿易商で、「新聞の父」と異名をとる男である。
実は、1852年に紀伊半島の沖合で難破し、2か月の漂流の後、南鳥島付近でアメリカの商船に救われ、アメリカに渡った。
数奇な運命に弄ばれたが、アメリカでの生活をたくましく生き抜く。
それどころかアメリカのブキャナン大統領はもとよりリンカーン大統領とも会見するなど、想像を絶する体験を重ねた。
ペリー提督が来日した時に通訳を務めたことでも知られる。
また、初代駐日公使のハリスの通訳としても活躍。
それどころか日本初の新聞「海外新聞」を発行し、「日本における新聞の父」として歴史にその名を刻んでもいる。
カトリックの洗礼を受け、アメリカ国籍をとり、「ジョゼフ・ヒコ」という名で生涯を閉じた。
どうもわが家とは不思議なご縁があるようで、その知られざる歴史をひもとく作業に取りかかったところである。
その探索の第一歩として青山霊園を訪ねた。
(浜田彦蔵の墓前にて)
同霊園の外国人墓地に浜田彦蔵こと「ジョゼフ・ヒコ」が眠っているからだ。
意外にも雪の覆われた墓前には真新しいお花が供えられているではないか。
一体、誰の仕業なのか。
今年は知られざる日米関係の裏面史をじっくりとひもといてみようと思う。