ベラルーシの独立記念日
昨日、都内のホテルにてベラルーシ共和国の独立記念日を祝う会が開かれた。
旧ソ連から独立して21年目を迎えるベラルーシ。
眺望の素晴らしい会場にはロシアをはじめ、隣国のウクライナ、タジキスタン、カザフスタン、キルギス、ウズベキスタンなどの大使も顔を揃え、賑やかな祝賀会となった。
(ベラルーシの大使と中央アジア4カ国の大使と共に)
ベラルーシはチェルノブイリ原発事故(1986年4月26日)の最大の被害国。
国土の23%がセシウム137に汚染された。
同原発の所在地であるウクライナでは汚染されたのは国土の5%。
風向きの影響で放射性物質が大量に飛散したのが隣接するベラルーシであった。
これまで14万人が移住を余儀なくされ、20万人が自主的に退去してきた。
事故から25年以上が経ってもベラルーシ南東部には強制退去区に指定された地域が残ったままである。
そうした厳しい環境という面では、福島原発の事故を経験したわが国とは共通の課題を抱えているといえよう。
今年は両国が国交を樹立して20年。
これまで日本は対話と協力を通じてベラルーシの民主化と市場経済化を促進してきた。
医療面での協力はもとより、非核化の支援も積極的に展開している。
その意味で、本年1月に着任されたラフマーノフ大使は通常の外交官とは一味もふた味も違った役割を果たしておられる。
というのも、もともと核物理学の専門家で国立科学アカデミーの副総裁という経歴の持ち主。
科学者らしい発想と探究心から東北の被災地を頻繁に訪ね歩く行動力には脱帽だ。
現地のニーズを正確に把握した上で、ベラルーシの教訓や科学的知見を共有する姿勢を鮮明に打ち出しての外交活動は極めてユニークである。
小職としても可能な限り、行動を共にしている。
昨年夏には仙台の高校生25名を姉妹都市のミンスクに招待して頂いた。
今年の夏には仙台の中学生を同様に招いて頂くことになっている。
未来を担う世代の交流が一層活発し、両国間の絆が深まることを願うばかりである。