「弔問外交」:サウジアラビアのナーイフ皇太子の逝去に際し
このところアラブ世界との交流が加速している。
今月はアラブ諸国の大使10人と鳥取県を訪ねたことは既に紹介した通りである。
実は、鳥取県中部の三朝町で歓迎式典を開いている最中に、サウジアラビアのナーイフ皇太子逝去の報が届いた。
視察ツアーに参加していた駐日サウジアラビア大使のトルキスターニ博士は、「せっかく地元の皆さまにお集まり頂き、盛り上っているので、この訃報はしばらく伏せておいて頂きたい。とはいえ、自分は至急、東京に戻らねばならなくなった」と耳打ち。
急遽、鳥取空港に向かってもらうことに。
野田総理はじめ、わが国の政府関係者も多数、弔問のために東京にある大使館に駆けつけた。
小生も、鳥取県での視察日程が終わった時点で、お悔やみを伝えるため同国の大使館を訪ねた。
民族衣装をまとったトルキスターニ大使からは生前のナーイフ皇太子の思い出話を聞かせて頂いた。
1980年代初めに同皇太子が来日された折、日本語通訳を務めたのが若き日のトルキスターニ大使だったこともあり、同大使の皇太子に寄せる思いは格別に深いものがあるようだった。
当時、日本の子供らと親しく交流されていた皇太子のお写真を拝見しながら、両国の歩んできた長い歴史に思いを馳せることに。
特に、ナーイフ皇太子といえば、国際的なテロ対策の推進役として大きな功績を残されてきた人物。
わが国のテロ、治安対策にとっても欠かせない存在であった。
その場でサウジTVの取材を受けたので、そのことに触れさせて頂いた。
記帳後、アラビアンコーヒーを飲みながら、各国の大使らとも情報交換。
国際関係においては「弔問外交」という言葉をよく聞くが、悲しみを共有することは相互理解につながる最善の道であることを実感した。