天安門事件から22年、中国を想う
本日6月4日は「天安門事件」から22年目にあたる。
民主化や腐敗防止を求め、北京の天安門広場に集まった大勢の中国人の学生や市民が犠牲になった日。
中国政府にとっては歴史から消し去りたい汚点に違いない。
事件の起こった当時、小生は米国の首都ワシントンで静かな研究者生活を送っていた。
無抵抗の自国民に銃剣を向けた中国政府の暴挙に怒った中国人留学生や一般市民が中国大使館の回りを取り囲み、激しい抗議デモを繰り返したものである。
同じアジア人として、自由を求める民衆を圧殺して憚らない共産主義に憤りを感じたことを鮮明に記憶している。
目の敵にされた中国人専門家が誰もメディアに出たがらないので、代わって小生がCNNやABCなどに呼ばれ、事件の背景やその後の展開を解説させられた。
しかし、大手アメリカメディアの狙いは、見た目は中国人と変わらない日本人に対し「つるしあげ」のごとく、「中国バッシング」を繰り返し、アメリカ的な価値観を強くアピールすることにあったようだ。
小生にとっては得難い経験であった。その時以来、中国大使館や中国政府からは一目置かれるようになった。
とはいえ、22年たっても、中国における自由と民主主義の問題は未解決のまま。
昨年のノーベル平和賞受賞者である劉暁波氏は相変わらず獄中にあり、本年1月にチュニジアで起きた「ジャスミン革命」の波及を恐れる中国政府は国内活動家の拘束に拍車をかけている。
来年10月には新たな指導部が誕生する中国。
国家主席就任が確実視される習近平氏はじめ新世代のリーダーの多くは天安門事件当時の指導者の二世で固められている。
彼らがどこまで民主的な国家を実現できるのか。
日本を抜きGNPでは世界第2の経済大国になった中国。
今年4月、天安門事件で亡くなった被害者の遺族のもとに、公安当局から初めて補償金の提示があったという。
遅々とした変化が希望につながるには、まだまだ時間がかかりそうだ。