【2022、看病続きの夏】子供たちの初めての入院で学んだこと

皆さま、こんにちは。
前回のブログ更新から、あっという間に数ヶ月が経ち、いつのまにか季節は秋を超え、冬になります。⛄️

更新できていなかったこの数ヶ月。
季節でいえば、夏のあいだ。
タイトルにもある通り、看病続きの毎日でした!

決して大きな病気になったとかではないのですが、、、。

長男君が7月から、突発性発疹、コロナ、ヒトメタニューモウイルスからの急性肺炎、さいごの締めに手足口病と、コロナを除いては、子どものあるある病に立て続けに罹ってしまい、気付けば連日のように看病をしている状態でした。

その中でも、ヒトメタニューモウイルスから急性肺炎になってしまった出来事は、母子共にトラウマになる経験だったので、今後のためにもブログに残しておきたいなと思います。

2022年8月21日(1日目)日曜日
ヒトメタニューモウイルスに罹ったのは、8月21日の日曜日。この時点ではまだヒトメタニューモウイルスとは分からず、朝から鼻水垂らしているのみでした。
前日には、お台場に遊びに行き、夜ごはんも焼肉を食べました。ただ、前々日の金曜日は、千葉の野田市にある水遊び場に行ったこともあり、なんらかの菌をもらってしまったか、体を冷やしてしまったのかなと。。。

(千葉県野田市にある水遊び場に行った日)

ただ水遊び場の衛生状態には、正直不安を覚えていたので、このあと悪化しないことを願いつつ、様子見をすることに。

結局、日曜日はお昼になるにつれて元気で。
軽い風邪かなと軽く捉えてしまい、散歩も兼ねて公園に連れて行ってしまいました!!

(走り回るくらいに元気)

が、夕方になると急に熱が上がってきて、夜中には39度近くに、、、。

2022年8月22日(2日目)月曜日
翌日の朝まで熱は続き、お昼になると解熱。

なので、コロナの時みたいに1日だけ熱が出るのかなと思いきや、月曜日の晩にはまた高熱に…!
40度近い熱で、寝るのも苦しそうな状態でした。

2022年8月23日(3日目)火曜日
そして、火曜日の朝(8月22日)になるとまた解熱。
咳や鼻水も月曜日より落ち着いていて、ピークは過ぎたのかな?と思いつつ、まだ生後3ヶ月の赤ちゃんも居たので、小児科につれて行きました。

先生に見てもらうと、肺の音も耳の中も綺麗で、喉が少し赤いという事で、なんらかのウィルス性の風邪じゃないかなと診断され、一般的な風邪薬一式をもらい帰宅。

熱も下がり、本人も元気そうにしてはいたので、この時点で一旦ひと安心しました。

(むしろ、この時はまだ上の子は過去の風邪と同じようにいずれ治ってくるだろうと。それよりも、下の子にうつってしまったら、入院の可能性がでてしまうから下の子に注意しておかないとなと。)

ただ処方してもらった薬を全く飲んでくれないどころか、日曜日からほとんど食べ物を食べない状態だったので、体調が落ち着いてきたなら、何かしらの食べ物を食べてほしいと言う気持ちになっていたところ、夜にまた発熱、、。


日曜日から毎晩40度近い熱を繰り返す状態です。

2022年8月24日(4日目)水曜日
翌日の水曜日(8月24日)もまた午前中は熱が下がるのですが、夕方になるにつれ、熱がまた出てきたので、もう一度前の日に行った小児科に行きました。

そこで、おそらく違うだろうけど念のためということで、RSウィルスとコロナの検査を受けたところ、結果は、陰性。
ここでまたひと安心したと同時に、「じゃあ、この繰り返しの熱はなんなんだろうか」と何ともいえない不安に襲われました。

この時点で、抗生物質の薬を念のためということで処方されたのですが、原因が分からない状態で、抗生物質を飲むのもどうなのかな?なんて思い、飲ませるべきか悩みました。

が、私の悩みとは別に本人は薬はもちろんのこと、相変わらず食べることを拒否していて、日曜日から水曜日の時点で口にしたものは、ゼリー1パックと、あとは毎日お水だけの状態。

そして、この日を境に咳が悪化し、夜中は高熱+咳で、これまたほぼ寝れない状態が続きました。

2022年8月25日(5日目)木曜日
翌日の木曜日(8月25日)、セカンドオピニオンも兼ねて、近所の違う小児科に。

そこで、今までの流れをお伝えし、肺の音や耳の中など一通り診断してもらったところ!

肺の音は綺麗だけど、喘息っぽい、ヒューヒューした音が聞こえるから、両親に喘息の傾向はあるか聞かれました。

そして、もしかしたらRSウィルスの兄弟的な病気で、ヒトメタニューモウイルスがあって、もしかしたらそれかもしれない。と先生に言われました。

ヒトメタニューモウイルスの検査をするかどうか聞かれましたが、先生曰く、もし結果が陽性だったとしても、治療薬があるわけではなく、風邪と同じ対処療法になるので、それなら鼻の中を痛い思いさせる必要もないんじゃないかな?と。

毎日の病院通いと闘病に、我が子も疲弊していたので、先生の意見を聞いて、私もそうだなと思い、この時点では検査はしませんでした。

で、この日は、お医者さんのご厚意で、喘息の方が使う吸引機の貸出と気管支を広げてくれる薬を処方していただき、帰宅。

(薬は飲まないのですが、吸引機に関しては呼吸が楽になるので、説得すると嫌々やってくれました)

結局この日もまた夜中には高熱と、止まらない咳。

まだ2歳なのに、ほぼ寝れていないせいか、目の下にはクマができていて。
ムチムチだった足は、食べていないので、ガリガリに細くなり、太ももからふくらはぎまでがほぼ1本の棒になっていました。

そんな衰退していく我が子を見て、生きた心地がしなかったです。

2022年8月26日(6日目)金曜日
8月26日金曜日もまた朝には熱は一旦下がるのですが、咳はひどく、体力もなく、基本的に横にグダっとなっている状態。

食べ物を食べさせたり、薬を飲ませようとすると泣いてぐずるので、余計に咳は出るわ、連日の体調不良ですでに喉は枯れているわで、無理強いもできず。

どうしても食べず痩せこけていく我が子を見て、自分の無力さを痛感したし、棒みたいになった我が子の二の腕を掴んで、「お願いだから食べて、じゃなきゃピーポーピーポきて、病院になっちゃうよ」と揺さぶって泣きながら懇願してしまった場面もありました。

※子供を揺さぶるのは、脳へのダメージもあるし、子供が一番辛く苦しんでいるのに泣いてしまった私は、本当に親失格だなと思い返すたびに申し訳ない気持ちでいっぱいになります。

2022年8月27日(7日目)土曜日
8月27日土曜日、相変わらず、夜中の高熱、止まらない咳、食べることの拒否、薬は飲まず、グッタリが続いていたため、もうすがる思いでもう一度吸引機を貸してくださった小児科に。

肺の音を聞いてもらったところ、肺の音は綺麗なので、やっぱりヒトメタニューモウイルスかどうかを調べましょうと言われ、調べたところ陽性。

先生が言うには、原因が分かったし、日数から考えて、ピークは超えてるだろうから、おそらくもう熱も治るだろうと言われ、帰宅しました。

病名が一応確定したので、ヒトメタニューモウイルスをママ系のサイトや、Instagram等で情報収集したところ、我が子と同じように夜になると高熱がでて、日中は下がるというのを繰り返し、約8〜10日で治ったという投稿を多く見かけました。

なので、先生に言われた通り治るまでもう少しという言葉を信じて、もうひと頑張りなんだと、言い聞かせました。

2022年8月28日(8日目)日曜日
もうすっかり先週の日曜日の時とは変わり果てた姿になっているのに、相変わらず治る気配がなく、夜になると高熱を繰り返し、8月28日を迎えました。

8月28日は、我が子の2歳の誕生日。

どうにかして、誕生日までに治してあげたかったのですが、誕生日まで長引かせてしまいました。

日曜日はいつも通り、朝からグッタリしているのですが、何よりも不機嫌がすごくて、寝ている時以外は泣き喚いている状態。

ただ夕方になると、奇跡的に初めて熱が上がらなかったんです。

なのにそれにも関わらず、不機嫌と情緒不安定がひどく、明らかに快方に向かっている感じではありませんでした。

子供って通常、熱が下がったら、おもちゃで遊び始めたくなると思うのですが、熱が下がったのに発狂が止まらず。
あまりにも食べていないから低血糖になったのかな?と。

夜の21時すぎまで熱が上がるかを様子見ていたので、時間的に遅くなってしまったのですが、やはりこれは何かおかしいと思い、急遽近くの救急外来へ。

ちなみにこの日の朝方から#7119に救急の必要性はないか時間を空けて3回電話していて、その都度、意識があること、呼吸ができてること、痙攣や嘔吐がないことと言う点で救急の必要性はないと言われています。

長男君は、割と病院が得意で、予防接種は泣かないし、いつも上手に口も開けられるし、お腹とか背中を出せるのですが、この時ばかりは釣られたカツオのように暴れる、暴れるで、先生も本当にお母さんが言うように何も食べていないなら、こんなに暴れる力もないはずなのにと、なぜか心配性すぎて大袈裟に言っているんじゃないかと疑われてしまうほどに大暴れ状態でした。

結局、大暴れしていたので肺の音をきくなんてことはできなかったのですが、血糖値を調べるために血液検査をしてみたところ、肺炎の可能性があるといわれ、レントゲンを撮ることに。。。


低血糖かな?と思っていただけなのに、まさかの肺炎告知に、頭が真っ白になりました。

わたしが高校一年の頃に急性肺炎を起こしたことがあったので、肺炎になっていないか。
肺炎にはならないようにと、こまめに小児科に行っていたつもりだったのに、なんで、、、、と。

そして、時間が深夜0時をまわるころ、急性肺炎が確定し、入院をすすめられました。
ただコロナの第7波が終わっていないこともあり、付き添いができないと告げられ、その場で泣き崩れました。

たった2歳で、一人で入院?
お家でも一人で寝れないのに?
夜中に起きて、ママ、ママと泣き叫んだ時に真っ暗闇で1人?
え、ちょっと意味が分からない。理解できないと。

一瞬でさまざまな気持ちが頭を駆け巡りましたが、肺炎は命にも関わる病気。
コロナ禍では、入院したくても入院できない状況がある中で、幸い入院してお医者さんにきちんと治療して貰えば治る病気。
そんな状況の中では、もはや選択肢なんかありませんでした。

とはいえ、一人での入院という事実を受け入れられず気持ちを整理していると先生から、

「発症してから約1週間。お母様もお子様もここまでよく頑張りましたよ。もうあとは、プロの私たちに任せていいんじゃないですか。本人も相当辛かったとおもいますよ。寂しいとは思いますが、もう楽にしてあげましょう」と言われました。

本人が少しでも早く治って楽になるためには、プロの先生に任せるべきなんだなと背中をおされた気がして、入院を決めました。

点滴に繋がれた我が子を入院病棟まで送るあいだ、暴れすぎて泣きすぎて疲れ切った我が子の不安そうに私を見る目は、一生忘れないと思います。

看護士さんのお話によると病棟に入ってからは、疲れて一瞬で寝たようですが、翌日目覚めた時の我が子の状況と心情を想像するだけで、今でも吐きそうな気持ちになります。

2歳の誕生日の日に入院なんて、最悪ですよね。
もう思い返すだけで、そうなってしまった状況に我が子に頭が上がらない気持ちでいっぱいです。

翌日、下の子にもヒトメタニューモウイルスがうつってしまった関係で、また救急に行き、下の子も入院させることにしました。

下の子は入院する状況ではなかったのですが、上の子が肺炎になってしまったこと、まだ生後3ヶ月であることから、ピークを超え熱が下がるまでの間だけ、入院させることにしたんです。

入院中はコロナの影響で、1日に1回だけ面会が許されていたのですが、看病で私も喉が枯れ果て、咳が出ていたこともあり、まさかの面会禁止になり、私は緊急入院になってからまるっと3日間会えませんでした。

搾乳した母乳やおもちゃ等を届けるために毎日病棟の前には行くのですが、我が子の泣き声が廊下まで響いてくるのです。

今すぐにこのガラスドアを突き破って、ぎゅっと抱きしめて、お家に連れて帰りたいと言う気持ちをグッとこらえなくていけないのは、本当にしんどかったです。

人生で初めて、立ってるのが辛くて、しゃがみ込んだ気がします。

私は16歳の時に1年くらい入院生活を経験したことがあります。

だから入院中の退屈な時間も、面会に来たお友達や家族が帰った後の寂しさも、夜寝れなくて1人だけ置いてきぼりをくらったような孤独感も、目を覚すたびに変わらない目の前の景色への絶望感もある程度は想像ができます。

ましてや2歳児になりたての子が、両手をドラえもんにされ、4人部屋なのに1人しかいない大きな部屋で、泣いても誰も来ない中、どうやって24時間を過ごすんだろうと。

大人にとってはたったの3泊4日かもしれませんが、2歳児にとっては、言葉になんかできないほどに辛い日々だったと思います。

もうこんな経験は2度とさせたくないし、2度としたくありません。

子供がいない人生は人生で生き甲斐や楽しさを持って生きてきました。でも、今、子供がいる人生を選んだ私にとっては、二人の子供がそばにいない毎日は本当に生きた心地がしなかったし、生きていけないなと強く感じました。

今回のヒトメタニューモウイルスに罹ってから、

どこでどうしたら良かったのか。
どこでどう対処したらこんな結果に至らなかったのか。

発症してから2つの違う小児科に4回連れて行ったのに、病院に連れて行けばいいってものじゃないんだなと。

2人の退院を待つ間に考えてもしょうがないけれど、何度も考えていました。

もっと早いタイミングで大きな病院に連れていけば良かったのか先生にも聞きました。

先生の話によると、もっと早く来ていたとしたら、もしかしたらまだ入院には至っていない状態だから、薬をもらって自宅療養だったかもしれない。
でも、結局くすりを飲まなくて悪化して、このタイミングで入院になっていたかもしれない。

運が悪いことにちょうどこのイヤイヤ期でもある2歳に重なってしまったこともあるし、さまざまな要因が重なって、今の結果になってしまったと。

ただそれでも私が今回子供たちの入院で学んだことは、

4日以上、高熱が続いたら大きな病院にいくことです。

ほぼ4日連続で肺の音を聞いてもらっても、分からないことがあるんだと分かったので、大きな病院なら血液検査等で数値や写真でほんの少しでも異変に気づいてもらえる可能性が高いと思ったからです。

もちろん、その他にもただの風邪だと侮ってはいけないなと。
→侮ったつもりはないけれど、保育園っ子なので、いつもの通り治るだろうと思っていた節がありました。

また合わせて体調が少しでも悪いなら本人が元気にしていたとしても大事をとってちょっと過剰気味でも休ませようと思いました。

お話は戻りますが、長男君は、もともと1週間の入院予定でしたが、面会が可能になった日に「ご飯を頑張って食べてバイキンマンと戦うんだよ。そしたらお家に帰れるからね」という言葉が通じたのか、ご飯をしっかり食べ、お薬を飲むようになったんです。

これなら点滴をやめられると言うことで、続きはお家で薬を飲んで治療できるということで、本人の寂しさを優先して、3泊4日で退院になったのです。

(退院の日の帰り道)

退院後も2週間ほど薬を飲み続けましたが、実際には退院の時には、熱も下がり、一連の流れの中でガリガリには痩せてしまいましたが、肺炎自体は快方にむかっている感じ見てとれて、ホッとしたのも覚えています。

そんな感じで、我が家にとっては忘れられない夏を過ごしました。

やっと入院の出来事を備忘録として書けるくらいに気持ちの中も落ち着いたので、ブログに残させて頂きました。

とても長い備忘録になってしまったので、退院後の話、弟君の話についてはまた後日ブログにまとめたいと思います。


お誕生日は、退院後改めてお祝いをしました🥂

ここまで読んでくれた皆さま、本当にどうもありがとうございます。

今年はコロナとインフルエンザの同時流行が懸念されているので、皆さまとそのご家族の皆さまも健康に楽しく過ごせますように。

今はとってもとっても元気です
また更新しますね。

濱田文恵