こんにち「葛西」と言ったら、東京メトロ東西線の葛西駅が有る江戸川区葛西を指すのが普通でしょう。


しかしこの名称が本来指すのは、律令制の下総国葛飾郡のうち太井川(江戸川)より西側の事であり、意外にその範囲は広範囲に渡っています。

 


個人的には学生時代に西葛西のダイエーでバイトしていた事から、葛西という名称より西葛西に思い入れが有るのですが、以前読んだ関東の戦国史に葛西城という名前が出ており、それを読んだ当時は「葛西っててっきり埋立地と思っていたら、そんな昔から有ったのかーーー」と…

それが数年前、ふと葛西城はどの辺りだったんだろう?と思って調べてみたら、なんと葛飾区の京成電鉄青砥駅近く(@ ̄□ ̄@;)!!


えぇっそうだったんだ!と驚いたものの、葛西が葛飾の西側という地名である以上、江戸川区ではなく葛飾区に有ったというのも何ら不思議な事ではなく、道理というものでしょうか。
以来、遺構が残っていなくても、葛西城址には一度言ってみたいと思っておりましたが、今回郷土資料館づいた流れでその翌日日曜日に行って来ました。

常磐線亀有駅から環七を南に進み、水戸街道との交差点を過ぎた辺り、左右とも公園となっている場所が有ります。

城址を跨ぐように環七が走っていますが、一応双方は別の公園のようで、西側は御殿山公園(手前)、東側に有るのか葛西城址公園(奥)だそう。

しかし、葛西城址公園でそれっぽい物は公園名程度であるのに対し

 

御殿山公園には案内板がしっかり有りました。

 

 

 

 


正に御殿山公園が「名より実を取った」といったところでしょうか

秀吉の小田原征伐時に廃城となり、その後家康の御殿が有ったそうで、御殿山公園の名前はこちらに由来するのでしょう。

ここがそうか…
目を閉じると千軍万馬のいななきが聞こえる…といった事はもちろん無いので、先へ向かいます。
この辺りの郷土資料館に相当するのでしょうか、お花茶屋駅近くの「葛飾郷土と天文の資料館」です。

 

 

 


ここにはプラネタリウムも有りましたが、今回は時間が合わずに断念(。>д<)
それより今回の主な目的はもちろん葛西城。

 


足利尊氏によって始まった室町幕府は京都におかれました。
その幕府の関東における出先機関が鎌倉公方であり、関東管令の上杉氏がそれを補佐。
この形で関東を支配してきましたが、15世紀にその支配は崩れ、鎌倉公方と幕府の対立、鎌倉公方と関東管令の対立、上杉氏の中でも山内上杉と扇谷上杉の対立、鎌倉公方の古河への逃亡と古河公方の成立、古河公方家の内乱と分裂、新たに堀越公方の派遣…といった具合に目まぐるしく情勢が変化し、関東は泥沼の戦国時代となっていきます。
その最中、上杉氏の古河公方へ対する前線の城という位置付けだったよう。

その後は北条の城、前述のように小田原征伐後に廃城を経て、御殿が築かれました。
教科書でも一時の戦国武将ブームでも関東の戦国時代は完全無視ですが、畿内に勝るとも劣らない波瀾万丈さです(@ ̄□ ̄@;)!!

次のフロアに上ると、こちらはプラネタリウム&天文コーナーでした。
最初のこの「郷土と天文~」という名称を見た時、何故天文?と思いましたが、プラネタリウムと絡めてという事でしょう。

また、先だって月面に着陸したJAXAの探査機SLIMに搭載の小型歩行ロボットSORA-Q(ソラキュー)は、葛飾区が本拠地のタカラトミーも製作に協力していたとか。


なんと!
空中で合体変形やって欲しい気がしなくもない( ̄▽ ̄;)

さて
冒頭の葛飾郡に戻ります。
現在の東京都、埼玉県、茨城県、千葉県の一部に跨がる広大なエリアであり、葛西、つまり葛飾郡西部は江戸期に下総国から武蔵国となりましたが、残る東部も東葛飾郡として昭和まで千葉県にも残っておりました。
私が千葉県の地理を初めて習った小三の頃ほ、かのテーマパークで有名な浦安市、チーバくんの鼻にあたる旧関宿町(現在は野田市の一部)、手賀沼南の沼南町(現在は柏市の一部)は東葛飾郡でしたし、京成電鉄の京成西船駅はかつて葛飾駅だった事を記憶しています。

現在では千葉県から「葛飾」の名前はかなり消えていますが、東葛地域(常磐線沿線辺り)とか葛南地域(総武線沿線辺り)と地域名に残っています。
葛西も含め、東西南北の文字が葛の前に付いたり後に付いたりする理由は不明ですが(´・ω・`)?