二つの新聞記事を読んだ。

いずれも悲しく、私には解決できなくて

丑三つ時のこんな真夜中にひとり狼狽えている。

最近、私には食欲がない。

だからサプリメントを飲んで補っている。





一つの記事は

17歳の女子による死体遺棄事件。

アルバイトの彼女はたぶん高校生ではない。

自分の子を自宅で出産したものの

家族は妊娠にさえ気づかず

彼女は子をバッグに入れて

死体となったその子を見つけたご近所さんが

警察へ通報。

彼女は北海道警察に逮捕された。

子の父親は分からない。

憶測だが妊娠を告げられ姿を隠したのかな。

よくある事例だとはいえ

私には悲しかった。

逮捕された彼女の今後を考えると

やり切れない。

あまりにも可哀想。






二つ目の記事は

いろんな意味で追いつめられた兄妹の自殺。

兄は高校卒業と同時に引きこもりとなる。

兄妹の父の事業はうまくいかず

莫大な借金を抱えたという。

妹は都内の有名企業に就職し

職場ではリーダーとなったが

給料の多くを親の借金にあてて

暮らしは非常に困窮したらしい。

生まれつき性格の弱い兄は

やがて母親の介護に追われ

しっかり者の妹は兄を支えた。

だが介護は困難なほど厳しく

妹は自己破産を考えるようになる。

疲労困憊した兄妹は

湖の美しい郊外へクルマで行き

自殺した。

妹のスマホにはその湖の写真と

「ごめんなさい」

との最期のメッセージがあった。







それぞれの記事を読んで

私は福澤諭吉の『学問のすゝめ』を想起して

きっとそれが何の役にも立たないと痛感した。

フランスの或る小説家は

「知識人は、反省しなければならない」

と、記述する。

学者たちは理論的多弁を慎むべきだろう。

知らずのうちにドグマに陥っているのだから。







寄り添うことさえできないし

世の中には

寄り添われることを拒む人もいるのだ。






今夜も私は眠れそうになく

ただただ悲しい。

階下から

ガールズバーの女子たちの嬌声が聞こえる。

彼女たちもきっと何らかの事情を抱え

将来の不安に押し潰されている。




クルマが黒猫のように静かに走っている。

東京スカイツリーがLEDの光を眩しく放っている。

数々の小説を私は思い出している。

消えた命は戻らない。

時間だけが確実に進む。

そろそろ始発電車が走るだろう。

消えた命を思い出す人もいずれいなくなる。

そして何かが残る。

残るのは愚考の堆積なのかもしれない。

私は出発しなければならない。