皆さんこんばんは

2024年初投稿、もっというと昨年1月以来約14ヶ月ぶりとなります。


今回はこの間何してたか等をざっくり書いていきたいと思います。


昨年の記事でおばあちゃんが亡くなって2月に納骨の予定というところまで触れていましたが、そこに書いていた日に納骨を済ませました。


その後、元おばあちゃん宅にあった仏壇を、新しく買い換えた上で自分が住む家に移すことになり、その関連の事などで3月後半までバタバタな日々を過ごしました。

その3月には広島で行われたサザンクロスの東北大震災復興支援ツアーに参戦

コロナ感染やおばあちゃんのことでバタバタしてたなかで、このイベントへの参戦になんとかこぎ着けることが出来てほっとしたというかなんというか。

その帰り道、生口島(自分が住む因島のとなりの島)ロコパ関連のとあるイベントの開催が決まったとお知らせがすごく高まった状態になったこともよく覚えています。

最後の辺りには、一昨年12月に広島遠征してくださったことで出会うことが出来た燃えこれ学園さんの大型定期公演を配信視聴

せっかく出会えたんだし、この先も続けて応援していければって気持ちになりました。


4月・5月はバイトがわりと忙しかったりなどして、燃えこれの配信ライブを観る機会はあったものの、直接イベントを見に行くというのが出来なくてあっという間に6月に


6月中旬、3月に決定した生口島でのイベントに参戦

久しぶりにお会いする方もいたりしてすごく楽しかったです。


そして、7月には後半に3度参戦機会が

それに加え燃えこれ学園の定期公演の配信も2回視聴

燃えこれの方は初期メンバーの一人が卒業ということもあって、楽しくもあり寂しくもありな1ヶ月でした。

個人的に誕生月だったのもあって、わりと充実してたんかなと思います。


8月はリアルイベントへ1度参戦

そのイベントでも演者さんの卒業があり、寂しくもあり楽しくもありな感じでした。


9月・10月は他のスケジュールの都合などもあって、配信ライブのみ観る機会がありました。


11月は初旬に2日連続、翌週にもうひとつリアルイベント(お誕生日おめでとうのイベント)へ。

配信ライブも2度観たりなど、ちょっと忙しい1ヶ月でした。


年末12月はリアルイベントは1度だけ、配信ライブは2度機会がありました。


そして年を越して24年1月、元々は2度リアルイベントへ参加の予定をしていたのですが、1つはお目当てにしていたグループ(燃えこれ学園)が遠征不可能になってしまい回避、もうひとつは母親がそのイベントの2日前にコロナになってしまい回避とどちらも参加できず

2度目の機会の予定だった日の翌日には自分も2回目のコロナ感染で一週間休むことに。

燃えこれ学園の公演の配信は観ることが出来たものの、なかなかハードラックな1ヶ月でした。


2月は他のスケジュールの関係でリアルイベントへは行くことが出来ず、燃えこれ学園定期公演の配信など、配信メインでのオタ活をした1ヶ月でした。


そして今月(3月)

初旬に昨年も参戦したサザンクロスの東北大震災復興支援ツアーの広島公演に参戦

現体制が事実上4月最後(イベント自体はそのあと5月にもうひとつあるようですが)をもって終了してしまうことが2月に決定

ちょっと無理する形をとることにはなったものの、なんとか参戦にこぎ着けることが出来てよかったなと思いました。

先週には燃えこれ学園の大型公演があり、配信で参加しました。

本来ですと現場に行けたらなおよかったかも知れなかったですが、都合が合わず・・・

でも、配信は配信で、なかなかよかったかなとも感じました。


と、ここまで振り返ってきましたが、過ぎてしまえばあっという間といいますか・・・


最近はとあることを勉強することも始めていて、そっちの方でも少し忙しくなりつつあり、今までのようにヲタ活をしていくのが難しくなってきてしまっていてちょっと辛いところがあるのですが、その合間を縫う形でリアルイベントへ行く機会を探っていき、行けたときにはしっかり楽しむようにしたいという気持ちです。


今後とも宜しくお願いします。

乱文失礼いたしましたm(_ _)m

それてはまた。








皆さんこんにちは。

2023年初投稿になります。

本年もよろしくお願いします。

 

えー、新年早々少し暗い話題になってしまって申し訳ないのですが、この年末年始に起きたことと、そこまで至った経過なんかを書いていきます。


2022年12月31日の午後10時7分、耳下腺癌のため父方のおばあちゃんが亡くなりました。

満年齢で90歳、数え年で表記する享年は91歳でした。


昨年春頃、顔にいぼが出来て、それがどんどん大きくなっていってしまい、7月に尾道市内の入院して切除する手術を受けました。


この時の細胞検査で癌が見つかっていたようです。


 退院後少しの間は入居する介護施設で元気に過ごしていたのですが、10月4日の誕生日を過ぎて数日後、左耳の付け根の方に痛みが出て因島の病院に入院


約3週間後、入院していた病院では対応が難しい ということになって退院、施設に戻り、それからは7月に一時入院した尾道市内の病院等に通院して、緩和ケアなどの治療を受けていました。


この間、左側の耳の下から首に向かってどんどん腫れが拡がっていっていたようです。


12月26日昼前、入居する介護施設の担当者さんから「内服で痛みが制御しきれなくなり(痛みが止まらなくなり)病院と相談した結果、午後から入院することになりました」と母の携帯に連絡があり、昼食後に2人で病院へ。


到着後、最初自分は車で待機していたのですが、施設の方から顔を見てあげてほしいと言われたと母から聞き、受付のところでおばあちゃんと対面。 

その時なんが冴えない表情をしてるなと感じました。(きっと痛みが続いていたんだろうと思います。)


12月28日、母が入院の書類を出したり、着替えのシャツなんかを病棟の担当看護師さんに渡したいというので、昼過ぎに一緒に病院へ(自分は車で待機)


その際、担当医からこの日の血液検査の結果も聞かされた様で、その時点でもしかしたら年内どうかという話もあったようです。

 

12月31日、昼頃に病院(担当の看護師さん)から「血圧が下がった、(病院から病室に入る許可を得たので)会えそうな人は顔を見にに来てあげてほしい」との連絡が母の携帯にありました。

直後に2人で家を出発、30分ほどで病院に到着

守衛の人に申し出て病棟へ、その後ナースステーションに立ち寄り、1人ずつで、1人15分程度を目安に病室に入るよう言われ(その他の人は別室待機)、まず自分が病室に入りました。

いざ病室に入ってみると、ほとんど目を開かず、呼吸が激しくなってしまっている状態で、時折声をかけてみるもののほとんど反応がなく・・・


追って叔父さん2人(自分の父親の弟(次男さんと三男さん))も到着、入れ替わり立ち替わり病室へ入ってもらいました。


その時にはこのまま落ち着けばみたいな事で、一旦全員帰宅したのですが、帰宅から程なくして再び母の携帯に病院から連絡が入り、その時三男さんが、夜に入って次男さんが病院へ。


22時前くらいに母も病院に向かう事になり自宅を出発

自分は1日の朝刊バイトのため自宅で待機することに。


23時半頃母からLINEが入り、その文面を読んで亡くなったことを知ることに。

(葬祭ホールの人が、日付が変わる頃に病院に迎えに来るという内容でした)

バイトは出勤するようにと書かれていたので日付が変わってすぐにバイトへ向かいました。

(バイト中に母は一旦帰宅したようです)


1月1日、バイトが終わって自宅に帰宅後、母と共におばあちゃんが施設に入る前に住んでいた家を経由して葬祭ホールへ、顔をみたあとに死亡診断書を見せてもらい、また亡くなる時どんな様子だったかも聞きました。

そこまで苦しむことは無かったとの事で一安心。

9時半過ぎお寺さんが来られて枕教をあげていただき、その後葬祭ホールの担当者の方との打ち合わせにも同席。

この日は夕方頃までホールで過ごし1人で帰宅しました。


1月2日、朝5時半に起きてお風呂に入って洗濯を回し、朝食を食べ、朝8時頃葬祭ホールへ。

昼過ぎに湯灌の儀の後納棺、それが済んでから服の用意なんかのため母と2人で一旦帰宅、16時頃戻ってきて着替え、18時からのお通夜に備えました。

お通夜が終わり、21時過ぎくらいまでホールで過ごし、この日は母と2人で帰宅しました。


1月3日、朝起きてからはほぼ前の日と同じように過ごし、8時過ぎて家を出て葬祭ホールへ。

10時から葬儀、続いて四十九日の法要をして、最後のお別れの後11時頃出棺、火葬場へ。

11時40分頃火葬開始、お昼を食べるなどして火葬場で待機

13時20分頃火葬終了、お骨上げをしておばあちゃん宅へ。

親戚の方達と共に仮の祭壇を組んだり等々して遺骨を一旦安置

その後母の泊まりの準備をしに一旦帰宅、おばあちゃん宅に戻り、その後1人で買い物へ行き、戻った後2人で夕食を食べ、その後1人で自宅へ帰宅しました。


それから、1月5日夕方に遺骨をお寺へ預けに行きました。(おばあちゃん宅が無人となってしまうため)

納骨は2月19日の予定です。


まさか年明けいきなりこんなことになろうとはというのが正直な気持ちです。

まぁでもいつか来てしまうことがたまたまこのタイミングになってしまったんだろうなとも。


大変な3日間になりましたがちゃんと見送ることが出来て良かったなと思います。


長文失礼しました。

(17:04文章を一部修正しました)




皆さんこんばんは。

そしてこちらではお久しぶりです。


2022年7月21日

36歳最後の1日となりました。


この1年間ざっと振り返ってみて、大きかったのは、前の1年間色々都合がつかずに行くことが出来なかったアイドル現場に行くことが出来た事。


数こそわずかでしたが、それまで出来てなかったことが出来たって事ですごく嬉しい気持ちになりました。


そして、バイトはこの1年間、決められた休みを除いて全て出勤


時間が特殊で、かつすごく忙しくなってしまったときもありましたが、なんとか乗りきることが出来ました。


そんな今のバイト先、実は諸事情で今月末で閉鎖が決定、8月からは別の販売所に行くことが決まり、少しドキドキしています。


明日、37歳の誕生日

3回目の年男の1年間が終わり、4回目の年男へ向け一歩踏み出すことになります。


先に触れたバイトの件などで少しバタバタになってしまいそうな気もしていますが、早く慣れて、またオタ活しに行ったりしたいです。


最後に

この1年間私に関わってくれた全ての皆さま、ありがとうございました。

そして、明日からの1年間もよろしくお願いします。