metallicaの曲名であり、アーネスト・ヘミングウェイの小説のタイトルでもある「whom the bell tolls:誰が為に鐘は鳴る」
日本では、年の始まりと終わりの境目で除夜の鐘が鳴る 煩悩の数(108回)鳴らすらしい
実感としては、ゆく年くる年で一回聞くくらいである 後の107回は、空中で鳴り響いていると想像する
去年は、色々と自分の中で進歩があった気がする カレンダーも人生で初めて作り(大抵もらってくるものだから新鮮だった)
このブログも始め、本屋通いが定着したと感じた2024年であった それと共に「生きるとは何か?」という途方もない話も付き纏い始め、2025年に入っても考えている 言ってしまえば、哲学的な話が自分の心の中で延々渦巻いている
一応の答えというか問いのまとめはできても、簡単に変形していくようで限度があるなと感じている 永遠に問うことが哲学なのかと思っている
それらを考えるきっかけというと、日本で1月1日に能登で地震が起き、2日は旅客機が半ば不時着し、国内外問わず、様々な事件・事故があったからだ 気に留めなければ、どうということはないんだろうが、あまりにも一つ一つが大きく感じ、2025年も吹き荒れるんだろうなと考える
世界全体が、無意識なのか意識的になのかパニックになっている まだコロナ禍の尾を引いている気がする 「太陽フレアが活発になっている」とか「2025年7月には・・・」とざわめきが止まらない (romanticが止まらない)
情報の濁流に溺れ、誰かに踊らされるように、私も社会も蠢く
今年は「生きるとは何か?」に関連した自分が抱えている課題を解決したい 何をし、何を捨て、何を残し、何を続けるか
もっと円滑にやれればなと思う 周りに感謝されるように でも、意見は言えるように 強く心を持つ感じで行きたい