越えていく。
越え続けていく。
イマココのわたしを明らかにし、
明らかにしたわたしを越えていく。
探求者から冒険者への反転。
もう求めないでいいんだ。
もう探さなくていいんだ。
だってもう気づいてしまったから。
何もかも全てが既に在るということを。
表現していくだけ。
体現していくだけ。
冒険者のわたしが、
チャレンジャーのわたしが、
イマココのわたしの何もかも全てを明らかにし、
その全てを認め、受け容れ、許容しきる。
わたしの何もかも全てを認容受容許容しきり、
そして選ぶ。
で、
わたしはどう在りたいのか?
で、
どーしたいのか?
パートナーシップの発揮。
わたしを明らかにするわたしと、
〝明らかになったわたし〟を体験させるための愛(何もかも全て)を注ぐわたしとのパートナーシップ。
〝明らかなわたし〟を送り出す。
イマココのわたしを明確にすることは〝みえないわたし〟に向けてのギフト。
〝明らかなわたし〟に相応しい〝愛(=何もかも全て)〟を注がれるのはみえないわたしからのギフト。
貢献の循環。
愛の循環。
越えてゆく。
ソレを越えゆくとソレらは守られる・護られる・保たれる・調和される。
ソレを守ろうとすると・護ろうとすると・保とうとすると・調和しようとすると不活性して瘴気を発する。
バランスを取るのは〝みえないわたし〟の仕事。
イマココのわたしの仕事ではない。
イマココのわたしは冒険者。
イマココのわたしはチャレンジャー。
イマココのわたしは越え続ける者。
イマココのわたしは意識(霊性)を進化成長し続ける存在。
越え続けてることで意識は活性化し続ける。
越え続けることで守られる。
越え続けることで調和する。
あべこべを反転すると本質がみえる。
ひっくり返したら気がつく。
ひっくり返してみるまでは腑に落ちない。
越えていく。
越え続けていく。
イマココのわたしの何もかも全てを明らかにする。
明らかにし続ける。
選びとり表明する。
選びとり続け、表明し続ける。
なーんだ、と。
本当に、びっくりするほどシンプル。
シンプルでなければ本質じゃないだなと。
奇跡は、
奇跡としておくからいつまでも奇跡なんだなあと。
想定外は、
想定外としておくからいつまでも想定外。
奇跡に遭遇して、
感謝するのもいいけれど、
崇め奉るって乖離だよね。
あ、こんなこともアリなんだ。
あってもいいんだ!
ならこれをデフォルトにしたい!
強欲なわたしはこう捉える。
奇跡を、奇跡と捉え、
その現象を〝滅多にはないこと〟として〝幸運だった!ラッキーだった!〟で片付けてしまうと、それはいつまでも〝奇跡〟のままだよねぇ。
興奮してドキドキして夢心地で、
奇跡だ!ラッキーだ!と舞い上がる気持ちは確かにあるしあっていい。
でも、
一度でも現れた現象ならば〝当たり前〟のことへと認識を変えてしまうこともできる。
わたしはいま、
そういうことを意図的にやってみてる。
〝気のせい〟〝勘違い〟〝たまたま〟〝偶然〟〝奇跡〟
わたしの中のこーゆー曖昧さを、
クリアにしていく作業。
明瞭にしていく作業。
そして、
わたしの外側を明瞭にしようとすることをやめた。
外側は明瞭にしようとしなくていいんだと気づいてしまったから。
外側を明瞭にしようとしていたから〝神仏精霊〟のはたらきかけを妨げてしまっていたんだもの。
明瞭、クリアにするのならそれは内側。
外側は内側の現れたでしかないんだもの。
その外側を明瞭にしようとするなんて、しようとしてたなんて、
気がついてしまうとまさに正気の沙汰じゃなかったんだなと(笑)
現代人は混乱している。
どちらが表なのか裏なのかがわからなくて。
内側を明瞭クリアにしていくこと。
そうすることによって外側の曖昧な部分に神仏精霊が関係性を発揮できる。
〝みえないわたし〟がフル発揮できる。
越え続けていくわたしの後ろを、
調和しながら追いかけてくる。
パートナーシップのフル発揮。
いま強く実感してます。