お巡りさんに一時停止違反容疑で止められた。
お巡りさんが何を考えどう行動しようとそれはお巡りさんの自由。
わたしを道路交通法違反者と捉えるのもお巡りさんの自由。
お巡りさんの世界観の中では、わたしの行動は道路交通法違反者にみえたのだろう。
では、
わたしはどう考えてる?
そしてどう行動するのか?
わたしの世界観の中に〝敵〟はいない。
お巡りさんはわたしの敵ではない。
そして、
わたしは道路交通法違反者ではない。
道路交通法を違反したとは捉えていないし、道路交通法を違反したいともおもっていない。
わたしはわたしの認識(わたしは道路交通法違反者ではない)を内外に向けて表明するだけ。
お巡りさんの世界観とわたしの世界観が異なっていてもいい。
そこになんの問題もない。
てか、
異なっていて当たり前。
同じだったらおかしい(笑)
だから、
〝頑張って、無理して〟認識のすり合わせなどしなくていい。
お巡りさんの認識。
わたしの認識。
どちらかに揃えようとしなくていい。
わたしは道路交通法違反者などではない。
真っ白ではないかもしれないが、
真っ黒でもない。
グレーは確実に存在する。
それを無理くり2極化するからつらくなる。
白と黒の境目には広大なグラデーション領域がある。
グレーを黒と捉えてる人。
グレーを白と捉えてる人。
グレーをグレーと捉えてる人。
相手に合わせようとすると、
相手をわたしに合わせさせようとすると、〝頑張らなきゃ〟ならなくて疲れる。
お巡りさんには、
わたしを黒と捉えたいし、黒と捉えきりたい!という欲がある。
わたしには、
わたしは白。白と捉えきりたい!という欲がある。
そんな相反する在り方が対峙すると現れるもの。
自分の欲と相手の欲。
そして事の本質。
黒とも白とも言いきれない領域は確かに在る。
そのことに気がついてる自分を認め許せるか。
それとも、
気がついてる自分を無視して、黒か白しかないのだとゴリ押すか。
わたしの世界観の中には〝敵〟などいない。
このお巡りさんもわたしの敵ではない。
そのことを認め許しきったうえで対峙し、わたしはわたしを表明する。
わたしは、わたしとお巡りさんの間に〝グレーという概念を認めて許していいんだ〟という空気が流れた気がした。
当初わたしはわたしを白だと捉えていたが、お巡りさんの位置からは黒にもみえてしまうことを理解した。
しかし、わたしは黒なのか?と自問すると〝わたしは黒ではない。しかし真っ白でもないようだ。〟という答え。
そしてわたしはお巡りさんに尋ねた。
いま、お巡りさんにとってわたしはまだ真っ黒ですか?と。
このお巡りさんはわたしの認識を汲んでくれたようで「真っ黒ではないですね。でも真っ白だとも言えないですね(笑)」と答える。
グレーの領域は存在する。
清廉潔白という概念は自己認識では在りえても、他者との関係性の中でそれを共通認知とするのはとても難しい。
お巡りさんと会話する前の時点ではわたしはわたしを白だとおもっていた。
お巡りさんは、
わたしと会話する前の時点ではわたしを黒だとおもっていた。
わたしという点とお巡りさんという点が交差した時、そこにグレー(第3の在り方)を認め許しあえる仲(関係性)が現れた。
わたしの先方を敵と捉えない在り方は、
わたしと先方という関係性を一度融合することができる在り方なんだなとおもえた。
相手の在り方を認めて許す。
わたしの在り方を認めて許す。
許すことによって混ざりあうことができる。
混ざりあうことで他者の奥底に〝わたし〟が在ることに気がつく。
なーんだ、と。
なら仕方ないよね、と。
溶けあったものが再び分かれた時、
そこにはいままで認知できなかった白でもなく黒でもない〝グレー(第3の道・第3の在り方・第3の捉え方)〟が在ったことに気がつく。
わたしとお巡りさんにの間に〝グレー領域〟が現れた。
わたし達はそれを認め許しきった。
そしてわたし達は別れ、再びそれぞれの世界観の中へと沈んでいった。
わたしはいま、
わたしの世界観の中からリアル眺めている。
リアルの中では各々の世界観の中に沈んでいる人間が闊歩している。
点である各々が他者と交差する時、
そこで認めて許しきるという行動を選べたとき、
「第3の在り方・第3の捉え方」をわたしの世界観の中に現すことができる。
わたしの世界観の中に「第3の在り方・第3の捉え方」が既に在ったことに気がつける。
他者との交差というのは、
わたしの世界(観)がさらに豊かになるきっかけ(機会・チャンス)を孕んでいる。
わたしの全てを認めて、許しきる。
敵と捉えている他者の在り方を認めて許しきる。
わたしと他者の認識が融合することで、新たにみえてくる領域がある。
それがわたしの〝第3の在り方〟。
わたしの中の第3の在り方をフル活性化してフル発揮したくて、そのためにわたしはわたしの全てを認めて許しきる。そのためにわたしは対峙する他者の認識を認めて許しきる。
それだけで、
この世は新しいわたしを現すために尽力してくれる。