「素の我を 知れとゆれるか 仏間の灯」

あるお寺の掲示板の言葉です。

何か由来のある言葉かな?
気になりましたのでネットで調べてみましたらー

ローソクの炎の上がり方が違ったり
風が無いはずなのにローソクの炎が揺れたり
消えたりする

そのことについて
少し心配されているような
質問コーナーがありました。

仏間でおつとめをしていたら 急に
ローソクの炎が交互に大きくなったり
小さくなったりしたのだそうです。

その方はそれで
心配になったのでしょう。
何か不吉な予感を感じたのかもしれません。

先立った方のことを思いながら
仏間で過ごす時間は
大切な時間だと思います。

もしそこに
安心の世界をいただいていたらー

このローソクの炎の受け取りかたも
変わってくるのではないでしょうか。

「素の我を 知れとゆれるか 仏間の灯」

素の我 とは
どのような我なんだろう?

仏間の灯が教えてくれることって
何だろう?

ひとりで考えることも大切ですし
わからないことを誰かに尋ねることも
大切です。

誰に尋ねるのか。
尋ねる相手によって
いろんな答えが返ってくるでしょう。

仏間で過ごすことの意味合いを
誰にどのように訊ねたらいいのか。

そのことを
この掲示板の言葉は
問いかけてくれている
そのようにも感じました。

「素の我を 知れとゆれるか 仏間の灯」