今夜聴くのは スティーヴィー・ワンダー「心の愛」
4cm角の白い器に地面を作って、ミニチュアフィギュアを留めました。
牛さんも山羊さんも1センチほどの可愛さです。
流し台前の窓際に置いています。
45年前、東の窓から朝一番の光が入って来るように設計しました。
どんなに辛いことがあっても
朝になれば3人のお弁当を作る。そのとき私の前から光が入って来る。
そして夕方は・・・遠くに夕陽に照らされた赤い丘が見えたり
2時間かけて5人分の料理をする時の、自分の世界に集中できる醍醐味。
壁に向かっての、独りで作るのは楽しくないです。
だからと言って、アイランドキッチンのようなオープンに
リビングに向かって中華鍋で炒飯やギョーザを焼いたり、、
パーティーの後の20人分のカップを洗いたくはないでしょ。
当時、ボッシュ(ドイツ製)の食洗器は
最初の4,5年しか使いませんでしたし。。
初めての育児で孤軍奮闘していた頃のミルクパンは今も健在です。
45年以上、使い続けて落としきれない焦げさえ愛しい。
木製の取っ手の裏側、焼けています。
それでも、外れたことない「ラッキーウッド」(かな?)の素晴らしさ。
きっと私の人生最後の日まで使うだろう。
私の介護食のお粥をこれで作るのもイイかもね。
レードルも30年以上前から毎日使っています。
この形と大きさが好きで、柄のところは焼けて溶けていますが
買い替えられません。
息子が「同じようなのはいっぱい売られてるよ」と呆れます。
(昨日のこと)元町・大丸の地下に行けば~ これを買わずにいられません。
PAULの「クロワッサン・アマンド」
はて? 何故かぺっぺっちゃんこ。
それでも美味しい。
今朝は・・・スモークサーモンのサンド。
これにキュウリなどを挟む野暮はしないPAUL
サーモンにはディルでしょ。
パンは硬めでシェーグレンのドライマウスには辛いとこあるが
固くなければPAULじゃない。
珈琲が最上級に淹れられたので、良しとする。
はて? 不幸? 私は好きでここに居るのです。
私もあの頃
人がどんなふうに憐れんでくれても「好きでここにいた」とすることにプライドをかけた。
「間違ったことを言ったかね?」
「いえ、ある意味、背中を押してやったのではないですか?」
よりよく生きることに、不断の努力を惜しまない。
寅子は
昭和50年代あの騒々しいウーマンリブの女たちよりも
自分を解き放った潔く強く優しい女性です。
YouTube より
はて? 「ウンベラータを剪定します」と言う女性の動画でした。
ええー! あれま~全部伐っちゃったよ ええんかいな。
私なら、こうしないな。光合成のために葉を残しますわ。
どこから光を取り入れたらいいの?
水と風はあっても、真っ暗闇の中に閉じ込めるのと同じではあるまいか。
あんなに盛り盛りだった街路樹でも
こうして残していますよ。
一枝ごとに。 光を取り入れる大仕事をしてくれる葉っぱです。
その葉っぱを護るために
幹は地下から水を吸い上げること、大風から全体を支える激務があります。
どんな存在も「生きている意味」があります。
誰かのために 何かを 出来るのですね。
感謝