堂々巡り | 自分らしくしなやかに

自分らしくしなやかに

自分の人生をいきたいと願いつつ還暦になってしまいました
母の縛りはますます強固に、介護という名で重くのしかかっています

夏のショートの断念から何も進歩のないまま

また、年を越そうとしています

 

昨年の秋は、母の左大腿骨骨折があり、

入院、手術がありました

 

結局、一日も行かない日を作れないまま

リハビリ病院に転院もせず

12月のはじめに退院したのでした

 

恥ずかしいことですが

私が母から解放された気持ちになったのは

手術中とICUに入っているときだけでした

 

母が私のことを考えていない

行かなくてもいい

行かなくちゃと思わなくてもいい

解放された気持ちになれた時間でした

 

ショートは断念したけれど

そんなに家から出るのが嫌なのなら

家で過ごせるように

ヘルパーさんに覗いてもらえるよう段取りをして

少しでも

行きたいけど母がいるから無理

やりたいけど母がいるから無理

ということを

行きたい、やりたい・・・そのためにどうしたらいいか?

と、発想を変えてやっていこうと

思っていました

 

でも結局、何かをしようとしたり

どこかに行こうとしたりすると

母の強烈な抵抗にあいます

 

私が私の時間を生きることに

母がどうしてそんなに抵抗するのか

本当にわかりません

 

母も一緒にだったらいける場所もお店も買い物も

母をおいて行こうと思うだけで

先に進めません

 

それは、母の体が今のように不自由になる前からのことでした

 

母に○○行って楽しかったよ、とか

○○のご飯おいしかったよ〜とか

そんなことは言えませんでした

 

楽しかったことを共有して

話ができない状態って言うことが

異常だってことに気づきさえしませんでした

 

私は母にとって自分が一番で

自分が快適に楽に過ごすための道具にしか過ぎないのだな〜

って、残念ながらいろんな場面で

再確認してしまいます

 

私は本来はショートやデイを利用してもらって

息抜きや仕事上の付き合いなどもこなしながら

最後まで家でみようと思っていたのですが、

 

母がデイもショートも拒否するなら

デイに行ったつもり、ショートに行ったつもりで

人を頼んで同じようにやっていこうと思っていました

 

でも、私がいくらそう思っていても母は

「自分が生きているうちは

娘は自分の世話をするのが当たり前で

それ以外のことをすること、

したいと思うこと自体間違っている」と

思っているし、そう言い切ります

 

そして

「どうしても出かけるなら自分は一人でいるから

人なんか頼まないでくれ

好きなように過ごしたいのに

気を遣うのはいやだ」

といいます

 

なら「立てない、ふらついてこけそうや

あれもとれない、これもできない」

そんなことばかり言わないでほしい

 

「立てないしご飯一つ用意も片付けもできないから

頼むんやんか」

というと

「それはあんたの勝手や。そんなに心配やったら

出かけなければいい」

といいます

 

結局堂々巡りです

 

もう、ほとほと嫌になっています