色々考える雨の日 | 自分らしくしなやかに

自分らしくしなやかに

自分の人生をいきたいと願いつつ還暦になってしまいました
母の縛りはますます強固に、介護という名で重くのしかかっています

昨日は次男の演奏を聴いたあと、
主人たちに見送られて
ひとりで新幹線で帰ってきました。

学祭は、とても活気があって
みんな楽しそうで、若者の
エネルギーを感じました。
ホントに楽しそう~✨

働き出している長男も長女も、
ちょっとうらやましそうでした。

疲れて眠っていたら
今朝は4時半にピンポーンと母のお呼びで起こされました。

トイレが間に合わず、布団やパジャマを汚し
自分でどうしようもなくて呼んだみたいです。

眠いですけど、別にイヤな顔はしません。
気持ちよく布団も変えて、全部きれいに着替えさせましたが、
朝起きるときまた、少し間に合わずまたパジャマを汚しました。

朝から二回洗濯機を回しました。
主人や息子の洗濯物がなかったのでよかったです。

雨なので家干し・・・(泣)

でも、しんどいのは
そんなことじゃないんです。

いつも思うんやけど、

お邪魔しているブログに書かれていた
介護している人と
介護していない人
とはまったく世界が違うって話

それは本当に
あっちの人とこっちの人
っていうくらい
生活が違うんだな~って
思います。

私の友人たちの中には親は居てても同居している人は少ないし、
通い介護している人でも
週に1~2度覗いて、
頼まれた買い物や掃除をしたり、
通院の手助けをしている程度が関の山です。

それより状態の悪い親が居る人は
あ~と言う間に施設に入り、
「長生きして欲しいねん」なんて
いい関係を続けています。

何より大きく違うところは
自分自身の生活や行動の中に時間を作って
親の世話を組み込んでいるか

親の世話をするという生活の中で
段取りして何とか自分の時間を作っているか・・・

人生のっていうたら大げさかもしれないけど
なんだか主体が違う気がします。

そしてそれは、やっぱり自分自身が
自分を縛り付けているのが
原因かもしれないと思います。

そうなったのには親子関係やら
今までの母とのやり合いとか
そんなことからの防衛本能とかがあるんかもしれへんし
簡単には縛り付けてる鎖は
外せないとは思うけど

それを外さないことには
いつまで経っても
自分の人生を生きれないよって
そんな気がします。

このままだと母が死んでも
飼い主は居ないのに
リードの付いた犬みたいに
窮屈なままかもしれへん・・・

ずっと誰かはずして~って
母に外してって言って~
って願ってきたけど
それは無理なんですね。

母の生きている間に
ちゃんと自分ではずさなかんと思います。

難しいけれど、
介護していてもあっちの世界に飛び込みたいです。