ダメなのは自分? | 自分らしくしなやかに

自分らしくしなやかに

自分の人生をいきたいと願いつつ還暦になってしまいました
母の縛りはますます強固に、介護という名で重くのしかかっています

先週の金曜日、うそっこ仕事の日に心療内科受診してきました

首の締め付け感、胃の不調、頭痛、動悸、頬がひくひく動くなど
次から次へとやって来ていた症状は少し楽になり、
朝起きたときの何とも言えない首から背中にかけての
重い痛みと眠気と疲労感は残っています。

前回の診察で、
「はるる♪さんはお母さんが平均寿命まであと7年ほど先まで
お元気だとすると65歳になりますよね。
その時、やっと自由になって後悔しませんか?」
と尋ねられました。

私は「もう今でも後悔しています。
ちゃんと母の介護と自分の生活を
両立して成り立たせたい。今までの20年、後悔しかありません」
と、答えました。

「なら、やっぱりお母さんにちゃんと向かって
自分の人生取り戻さなきゃダメでしょう?
どうして出来ないのですか?」
と尋ねられて

少し考えましたが、
やはり母の望まないことを私が願って
母に怒られるのが怖いという感覚が
出てきました。

「母に怒られるのが怖いんです。」
と、答えました。

何より母は幸せでないといけないと
ずっとそれを基準に物事を考えてきました。

だから母が嫌がるであろう事を母に告げるのは
とても苦痛で
自分が我慢する方が楽だと思ってしまうのです。

母に立ち向かおうとすると
それだけであちらこちらに心身に不調が出ます

だから立ち向かう必要のない
母の容態の悪いときの方が
身体はしんどくても、心は諦めがつくというか
仕方ないと割り切れるのです。

「でも、1度では無理でも何度でも何度でも
お母さんに向かって話をしなきゃ。
でないと、このままなにも変わらないよ。
このままじゃ、私の方が死んじゃう~くらい
言ってみれば?」

母に話す言葉を
頭の中で何度も反芻しています。

それは本当はもう何年も前からなんだけど
いよいよ年内には
向き合って話してみようと思っています。

母の介護が嫌な訳じゃないこと
最後まで在宅でと言うなら
出来るだけのことはするつもりなこと

だけど、私にも人生があり
この年はもう2度とないってこと
必ず母より長く生きるかどうかも
生きていてもいつまでもちゃんと
自分の足で元気に歩けるとは限らない

どっちにも後悔したくない

だから、ショートやデイも利用して
お互いしんどくならないように
やっていきたい

そんな思いを上手く伝えたい

何度も何度も反芻しながら
母の反撃を想像しながら
シュミレーションしながら

上手くいくかな


そう思っている側から
今度の連休
長男が
「友達との約束がなくなったので
次男に会いに東京へでも行こうかな。」と
言い出しました。

母と主人とどうやって過ごそう・・・
1日くらい数時間出かけるくらい
何とかしてみよう
と、思っていたのですが

主人は、長男の話に
「その話、乗るわ~」
と言いだし、
たまたま帰って来ていた娘も
「私も1泊だけ行く~」となりました

まだ、全然具体的にはなにも決まってないのですが
飲みながらワイワイやっていたのです。

今朝、母が恐い顔をして
「連休○○(次男)のとこへみんなでいくんか?」
と聞いてきました。

「イヤ昨日突然そんな話出ただけで
何も決まってないよ」

「あんたも行ってきたらええ。
私はここでじっと寝とくから・・・
昼間誰かに来てもらったら何とかなるし」

さて、こんな風に突然言われた私はどう答えるのがいいのでしょう

①あ、ほんま?ありがとう。
そしたらそうするわ。留守の間誰に頼んどいたらいい?

②ありがとう、嬉しいわ。
でも、家におばあちゃん1人置いていくのは不安やし
ショートサービス探してもらうわ~

③そんなこと言っても、1人でここに居るのは無理やから
私は行かへんよ