◆ 神度(かみど)の高い人って?
 

 「神度の高い人」とは、「自分らしく生きている人」のことです。もっとスピリチュアル的に言うと、「自分のハイアーセルフと調和している人のこと」です。


 現在わたしのいる世界には「神度の高い人」が確実に増えてきていると実感しています。


 以下は恒例(こうれい)の?わたしの恥ずかスィ~日記からの抜粋(ばっすい)です。良ければdouzoお読みください・・・(;^_^A

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今さらながら不思議でならない。
どうしてこの世界はこんなにも優しく穏やかになったのだろう。


 今わたしがいる世界は、自分の人生にポジティブに集中しておられる諸兄姉(しょけいし)の先輩がたと、心優しく知恵のある若者達が、たくさんいる。

 昔の自分がいた世界とは比較にならない。日々驚き、感謝に涙がにじむ。

 この胸の中央から感じる甘やかな感覚は一体何なんだろう。そして、どうしてこの世界はこんなにも優しく穏やかになったのだろう。

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 先述のように、「神度の高さ」とは「自分らしく生きること」であり、それを「自分のハイアーセルフと調和することである」と定義するならば、わたしの今いる世界は神度の高い人が増えてきている、ということになります。


 「自分のハイアーセルフ」と一致した時のわたしの感覚を観察してご紹介すると、「大いなる安心感」というものが挙げられます。


 「自分はこれでいいのだ」という、自分の身体に心がしっかりと落ち着いてはまり込んだような、()も言われぬ大きな安心と喜びです。呼吸は穏やかに、ゆっくりと行われています。これを実感している時は上方向に自分の脳が開かれたような感覚を同時に感じており、確認したことはありませんが恐らく瞳孔(どうこう)も開いていると思います。いつまでも(ひた)っていたい、“(まこと)の快”の感覚です。


 ハイアーセルフと一致した時の感覚は人それぞれですし、また、スピリチュアルなどまったく知らないとか、興味がないという人のほうが調和している、ということも多く見受けられます。


 ハイアーセルフと一致していても、不一致だとしても、いずれにしろ全我(ぜんが)の自分にとっては貴重な人生経験であり、そこには例えば勝ち負けとか、遅い早いといったような他者との比較は不要です。


 ただ、自分の中だけを見つめた時、ハイアーセルフと一致すると、人生が調和のとれたものになり、ポジティブな流れに乗ることが多くなっていきます。


 日記に書いたような諸兄姉(しょけいし)の先輩がたも、知恵のある心優しい頼もしき若者たちも、きっと人生それぞれに色々とあるに違いないと思います。それでも、そういった人々が増えてきている実感から、人類の集合意識が「良くなろう、良く在りたい」と思い、そしてあえて言うと「正しく頑張っている」成果かな、と感動を覚えます。

 
 ここで言う「正しい頑張り」とは、自分のハイアーセルフと一致する努力のことを言います。わたしがお伝えしているような情報は、ハイアーセルフと一致するために、過去や執着といった本来の自分らしくないもの、ネガティブな信念といったものを手放したり統合したりするための方法なのです。


 ◆ 自分の山を登りましょう

 もしも今、「自分は神度(かみど)が低いかも・・・」と思うような場合でも、行うべき正しい努力は同じです。それは「目の前にやって来たことに対して、ひとつひとつ誠実に丁寧に向き合う」ということです。ネガティブな思いを抱いたのであればその思いがどこから来たのかを見つめ、自己理解につなげて昇華の方向に持っていきます。またポジティブな思いを抱いた時も「これは“仮そめの快”かな?もしもそうなら、この思考はどうして起きたのかな?」と一旦は審査してみることも良いかもしれません。


 時に「放置する」という選択肢が適切である時もあるかもしれません。また「次善(じぜん)の策を積み重ねることが最善だった」ということもあるでしょう。いずれの選択をするにしても、「自分で決めたのだ」と自分に言い聞かせることが大切で、無理強いではなく、しっかりと向き合って自分でそこまで落とし込むことです。そうするとうまくいった時に自信になりますし、またうまくいかなかった時にはどんなに口惜(くちお)しくとも他者のせいにすることがないので、次に活かすことができるのです。


 言うなればそれは「自分の山を登る」ということです。そして、今、踏み出すべきこの一歩をしっかりと、自分の足で歩くことに集中するのです。

 親には親の、子どもには子どもの、他者には他者の歩むべき道、そして登りかたがあるのです。他者のことを気にかけるのは、自分で自分の山の登り方をつかみ、相当な余裕が出てきてからでも遅くはないのです。


 もちろん、友と一緒に歩いたっていいのです。同じ方向を行きたい、共に上を目指せるという人があるのなら、です。そうでないのなら一人で登るのです。一人って、本当にいいものですよ。しかも(おのれ)を知るためには一人になることが必要な時もあるのです。情報すら遮断したほうがいい人もいるくらいです。


◆ 遠慮は無用

 わたし達人類の集合意識が「良くなろう、良く在りたい」と願い、そして成果が出始めているのであれば、今後はそちらの方向への現実化の速度が早まることが予想されます。と言っても大丈夫、自分の内側を意識していれば置いて行かれるといったようなことはありません。わたし達は協力者です。内なる幸福を分かち合うことにより、この惑星が「人格者の星」となったら・・・?一体どのような世界になるのでしょう。もう「地球は原始的だ」などと思う必要はないのです。わたし達は大変なチャレンジを成功させるということなのですから。


 わたし達一人ひとりがより自分らしく生きていくことにより、神度(かみど)の高い星になっていくのです。あなたの幸福が世界を救います。遠慮せず、自己の幸福を噛みしめ、日々感謝し、共に大いに喜んで参りましょう。


 ではまた・・・。