今回の「危険」というのは、昭和風に言うと「オラオラ、あたいに近寄ったらケガするよっ」というようなタイプの人物のことを言っているのではありません。「精神的な成長・上昇の妨害(ぼうがい)となる」という意味においてです。


 特に女性について述べますと、「女性は一般に“横並び”の意識でつながりあっている」と理解されていますが、しかし、あくまで各人が「自立」した上での横並び意識が望ましい、ということを知っておいて頂きたいと思います。


 精神的な「自立度」が高くなっていくほど、男女ともに友達はいらなくなっていきます。そして本当に付き合いたい人とだけ付き合えばいいということを体現(たいげん)していくものです。その際、人数は関係ありません。ゼロでもいいのです。自分にとって「付き合いたい」と心から思う人が多いか少ないかということは人によることで、わたしの場合は少ないほうではないかと思います。


 友達関係ではなく、たとえば一部の経営者の皆様のように、従業員や他企業の社長といった、たくさんの人数と仕事上で関わり合うようになったという人でも、人間関係が順調に育まれている時には基本的に「お互いに気が合う人同士(どうし)で、同じ目的を見ながら協力し合う」という基本姿勢があるのです。この「互いに自立した人同士(どうし)で築く人間関係」という土台がなければ、会社としても、個人としても、真の成長は難しいのです。


 精神的に自立しているとは、「自分らしく生きることができている」という状態だと言うこともできます。


 もちろん、精神的に自立している人々も、自分以外の色々な人・物・事から力を借りて、助け合って生きていきますので、他者からの助けや支えを求めてはいけない、という訳ではありません。


 精神的に自立していない人とは、「不足感」や「無力感」が心の土台となっていますので、
「もっとくれ。こっちは大損してるんだ。私がどれだけつらさ(ストレス)を感じてると思ってるのさ。こんなんじゃ足りない。もっとよこせ」と、援助に対して要求する際限(さいげん)がなくなってしまっている状態なのです。


 「危険なともだち」とは女性に限らず、こういった「不足感や無力感」が心の土台の人同士での横のつながりを言います。


 具体的に三つの要素を取り上げてお話ししますと、例えばまず「敵の敵は味方(みかた)」というものから話を始めます。


 今、あなたに嫌いな人がいるとして、その人の名をAさんと言います。あなたは職場でもご近所でも、Aさんのことが嫌い、あるいはなんとなく見るのもイヤ、Aさんの姿を見るだけで落ち込んだりイライラしたりする、許せない!というような思いがある場合、その発生したネガティブな感情エネルギーを発散せずにはいられない、というのがここでの本音でしょう。


 ここでの正しい精神の修養の方法としては、Aさんという他者の(おこな)いを見るのではありません。自分の内側を見るのです。具体的には、そもそも一体なぜそんなにもAさんのことが嫌いなのか、あるいはモヤモヤするのかという、自分の胸の中にある大元(おおもと)の原因を探り、見つけて癒すことであり、これが本質です。自分の中に反応するための何かがなければ、そもそも反応しないからです。

 もしもAさんだけに落ち度や原因があるのであれば、そっと離れることです。しかしわたし達は「離れる」という選択をただちにはできかねることが多いものです。実際問題という現実があるからです。動くことができないのであれば、できるだけすぐに誰かに聞いてもらいたいと思うものです。これはストレス感情が大きい人にとっては自然な流れと言えるでしょう。


 そこで、たいして親しくもないが、その辺にいたBさんという人を捕まえて、愚痴(ぐち)を言い始めます。その時に、とても多くの人は「おおげさ」に表現をするのです。しかも中には「あなたのこと()悪く言っていたよ」と虚言(きょごん)(ろう)する者までいるのです。


 上記のお話に見られる「怒り」「愚痴」「目先のことに溺れて本質を見失い、もっと、
もっとと(むさぼ)ること、つまり欲」の三つを、仏教では「三毒(さんどく)」と言います。


 この三毒とは、いわゆる煩悩(ぼんのう)のことです。わたし達人間が煩悩まみれであることは、仏教とはまったくご縁がないというかたであっても、なんとなく聞いたことがあるのではないかと思われます。


 性別に関係なく、あなたとあなたのお友達とは、この三毒を補い合うことが目的の関係性だということはないでしょうか?


 もしも自分の人生をもっと発展させたいのであれば、こういった三毒を補い合うための友達とは、そうであると自覚・認識した上でお付き合いをすることです。もちろん付き合うことをやめたければ、それでもいいのです。


 わたしの場合は三毒を補い合うことが目的の友人は今では一人もいません。しかし、どのような人と付き合うかは本当に各人それぞれであり、人にはそれぞれに事情があるので、良いも悪いも一概(いちがい)には言えないものです。


 ただ三毒を補い合う友人とお付き合いをしたいと思うのであれば、すでに述べたように、自覚を持ってお付き合いされると良いでしょう。すると時間や労力を自分にとって無理のない範囲で収めることができるからです。


 世の中にはとても精神的に自立していて、ある意味「自分らしさの極み」に突き抜けているような人がおられますが、そういったかたの場合、相手が三毒の人だろうが、どんな時も自分らしく付き合えるものです。こういった突き抜けているような人にとって、三毒の人は危険でもなんでもないのです。それは悪影響を受けないからです。ただし、いくら「自分らしさの極み」に突き抜けているような人であったとしても、「この人といても、なんだか面白くないな〜」と思った相手からは、そっと離れて行くでしょう。


 怒りんぼだったり傷つきやすかったりし、愚痴り合い、目先のことに溺れて本質を見失う人同士でいることは、自分の人生を良くしたいという「自主(じしゅ)自立(じりつ)」への()(かた)とは方向性が異なる場合があるものです。


 わたしとしては皆様お一人お一人のお話を伺ってこれを書いているのではないため、基本的なことのみをお伝えすることになるのですが、一般的な話をすると、まずは自分の中の三毒に気が付くことです。それには今自分の周りにいる他者を見ればわかりやすいでしょう。自分と同類の人や事情が噛み合う人同士が引かれ合い、共にいるようになるからです。


 そして次に、一体自分はどうしたいのか、どうなりたいのかを自分で確認しましょう。


 この二つを確認できただけでも自分の人生の方向性がわかっていくという人もおられますので、今回お伝えしてみました。



 ではまた・・・。